コンテナハウスと東京タワー

東京タワー 技術の革新 夢の日本(少年の夢)とサンボリスム

1958年10月14日東京タワーは竣工した。日本人たちは当時世界で最も高い自立塔を建てた事により、日本の技術の進展を確信し、明るい日本の将来をその塔の向こうに見据えたものであった。ビジュアル的にも333Mという確かに巨大な「塔」はその偉容を日本人の心に焼き付けた事だろう。構造家の内藤多仲と日建設計の設計によるもので、確か施工は竹中工務店と記憶している。私が物心つき、少年になった頃はまだ東京タワーが建って数年後だった。まだ九州の山猿だった私は本で見る「東京タワー」をいつか早く実際に見てみたいものだと何度思った事だろう。かなったのは高校3年生の時だ。「凄いな日本人。世界一高いタワーを建てたり出来るんだ。自分もやがてそんな技術者になりたい」と願った。日本はその後高度成長に向けて欧米の猿真似(爆)をし、努力をして行くうちに、猿から類人猿に進化し、やがて名誉白人などとよくわからない自虐的単語も生まれたがそれにも屈せず、技術革新と経済成長に走って行く。俺たちにだって出来るんだ。俺ら日本人は優秀な民族なんだ。そう信じて日本人みんなが走って行った。それも凄い勢いで・・・・。それが間違いだった事はやがて解って来たが、幸せだった。そして概ね皆が同罪だった。

日本は技術革新やものづくりで国の基盤を作って行った。様態はちがうのだが、成長の雰囲気は今の中国に似ている。ただ成長のただ中にある時は、奇妙な団結心的なものがあり、ある意味それは現代では嫌われる事が増えて来た。日本人特有の「集まって進もう」とする、ある種奇妙な一体感、ある意味強迫観念があった。民族意識というものに近いかも知れないが、一人外れるのが怖いのだ。経済成長をピークに持って行ったのは「大阪万国博覧会」だ。これをを引き金に高度成長時代のピークが始まる。古い書物をひもとき、当時のパビリオンなどの写真を見てご覧なさい。びっくりです。まるで「北京の万国博覧会」と同じ列にある事がわかる。でも岡本太郎の太陽の塔は悪くない。岡本太郎は「藝術」を「ゲイジュツ」という雰囲気にまで庶民的な部分に降ろしてくれた。文化と観念の様態に対する個人の感性が「ゲイジュツ」と呼んでもいいのだ、という事を国民に知らしめた。私は戦後の生まれだが、特に豊かな環境でもなく、現代からすれば周りはみんな比較的同じく貧しい環境だったといえるだろう。

筆者の親の世代が、ぎり戦争に志願すれば参加出来る年齢だった。そのような家庭でも「ルノワール展」や「ツタンカーメン展」、様々な海外美術品の展覧会が催されれば見に行くような、経済成長の裏には「文化的なもの」が欲しいと感じるステレオタイプな感覚も生まれ始めていた。東京タワーはそんな日本の象徴だった。「塔」というものは、生まれながらに「象徴性・象徴機能」を持つ。何の象徴かは様々だが、その大きさ、カタチ、偉容、などから自動的に「象徴機能のチカラ」が生まれる。昨今で最も大きな「塔」は最近その予定最高高さまで達した「東京スカイツリー」であるが、最もダイナミックなチカラを持つ「塔」は私は「六本木ヒルズ」である事を疑わない。奈良時代などに時代をさかのぼっても、権力者は「塔」を作りたがる。聳える塔はその時代を統治する「権力」で技術や経済力を自由に動かす力を象徴し、街に棲む人々にその権力者の力を誇示する。そして権力者は「塔」の上から自分が統治する世界を見下ろしたいのだ。

六本木ヒルズ

しかし、その塔を眺めながら「チカラ」を滾らせる者が生まれてくる。虎視眈々と次世代を狙う人々だ。何も社会転覆を狙う者ばかりではない。「違うだろ」「そうじゃないだろ」「間違っているだろ」と疑問符を体中に貼付けた人種である。ある意味象徴物に触発された「現状不満型優秀人間」である。これらは正しいチカラを生む事も多い、その反対も多い。それらのキーマンのフォースに影響を受けた人々が少しずつ膨らみ「フォース」を生み出して行く。例えばこの「フォース」という概念は、映画「スターウォーズ」で登場する「フォース」という概念と意味合いは同じである。フォースはことわざにもあるように「類は類をよぶ」状態を生み出す。企業文化においてもそうである。超巨大企業ではもう「社会」と同じであるからわりと分散しているが、「上場企業になりました」という感じで、その後はそのままそれほど成長していないようなレベルの企業の構成員はまさに「類は類をよぶ」状態である。 魑魅魍魎系はやはり社員がみな魑魅魍魎系だし、火事場泥棒系はやはり皆火事場泥棒系だし、有象無象系はやはり社員も有象無象だ(爆)。

東京タワーは、ある意味いい時代の象徴物だ。「古き良き時代」というコトバがあるがわりとはまるような気がする。なぜなら「日本人に勇気と希望を与えた」「私たちの味方」であった。権力の象徴ではなく「私たちの希望」であった。それを眺める人の心には「なんだか私にも何か出来そうな勇気」が生まれた。そうさせるのは「時代背景」や「公共的電波塔」であったりする事によるが、最も大きなのはやはり「時代背景」だ。日本が民主化の道を歩き、国民一人一人に、「貧しいのに明日の希望が生まれ始めた時代」だったからだ。リリーフランキーの「東京タワー」が描いた世界だ。

大震災が誰もが目をつぶって忘れていた「パンドラの箱」のふたをこじ開けた。夢の「エネルギーの塔」は国民を絶望の縁に立たせている。いくつも並んだ傷ついた「エネルギー塔」はガンマバイアスアタックとなって、常に人の気持ちを突き、気持ちを萎えさせる。技術の革新は人々に夢を与え、事実幸せにするものでなくてはならない。コントロールすら出来ないバケモノ技術を造り出してはならないだろう。決して世はそれを望んではいなかった。そして後の祭り。それが悔しい。

新たな居住システム、あるいは商用空間、または福祉施設、現代は技術は十分に進み、技術的に新しいものは特にある訳ではないが、コンテナのシステムは新たな技術の使い方を目指す建設のシステムとして開発してきた。このシステムで我々は出来る限りの事を行って行きたい。建築が作り出すものの目的は「物理的空間」だけではなく「その空間によって生まれる物語」だ。