アカデミズムとコンテナハウス

若い修業時代に大阪の設計事務所に勤務していた。京阪電車で通っていた。地方都市から出て来た人間にさえ、何となく大きな都会のくせに、ホントーに内容は田舎臭いオオサカは馴染めませんでしたが(爆)、とりあえず何より驚いたのは電車の中に必ずと言っていい程(記憶が濃くなっているかもしれない)・・「独り言」をぶつぶつ話すおっさんやおばさんが乗っている事が驚きだった。当時は大学を卒業したばかりの若者なので、私自体も世間の事をまだ知らないという事もあったが、「オオサカは病んでいる」と思っていた。きっと都会がこの人をこんな風にしてしまったんや。都会の孤独がこうしてしまったんやとね。ところがずいぶんと世間の事を知ってくると、今はもうそうは思っていません。オオサカの人は元からそうなんや。そういう人たちなんや。と思っている(爆)。きっと一人ぼけ突っ込みでもしているんや(爆)。

建築士たちの集まりも面白くない(爆)。話題狭いし、融通効かないし、同業者の集まりの中に明日の日本の希望の光は見えない(爆)。学生達との話は面白いけど、なんでこんなに技術者って話題が少なくて、話べたで、頑固者が多く、固まった感じの人が多いのだろう。レオナルドダヴィンチを見たまえ(爆)。みんなあのような総合的芸術家になろうよ。「建築」そのものは面白い。「建築」の世界は、世界へ目を向けて様々な歴史的事実、歴史的変遷、時代の権力と建築の関係など考えたり研究したりすると、現代の建築はとても民主的な時代に入っている事が解るし、多様な思想や社会を反映しながら多様性に満ちた段階に入って来ている事がわかる。建築は技術の部分だけではなく進化しているのだ。もともと建築は「技術の総体」ではなく「技術を背景にした思想の総体」である事がここで解る。

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紀元前1世紀頃のローマの建築家ポッリオ・ヴィトルヴィウスは、著書「建築論」のなかで腕を伸ばした人間は円と正方形の両方に正しく内接することを発見。レオナルド・ダ・ヴィンチは感銘を受けて左の図を描いたと言われています。紀元前1世紀にすでに建築家は存在していました。私たちは2000年あまりが過ぎた世界で何か新たな仕事が出来ているのでしょうか。

もちろん今でも、建築が消費社会の典型的な記号消費の例になっている事もある。例えば、中国の富裕層の方々は「西欧的」なものを建築の中に望んだりする事が多くあります。それはかつて日本もたどった道ですが「西欧的デザインコード」の中に「ステイタスモード」が含まれており、富裕層はそのコードを「消費」することによって自分がその中に入り込むという、なんとも中国国内にいながら社会主義的でない消費行動を目指す事があるのです。

これでは建築は本来の意味を発揮する事は出来ず、消費社会の中でただの消費物となっていくのです。崩壊しつつあるとも言われていますが、今中国バブルの中で好まれているという豪華マンションのデザインなどがまさにそれです。死語になりましたが「成金趣味」というコトバがまさにに端的に示す「記号消費」が建築の世界でも起こるのです。

一方で、長い年月の間に多くの建築界の優秀な先人があらゆる建築のフィジカルな面や、社会的な面を研究し、大きな幾層もの束になった「建築学」ともいうべきアカデミズムの巨塔を築いて来ました。日本の建築アカデミズムは基本的に「学究の世界」にしか存在しないように思います。つまり平たく言うと「大学」にしか存在しない。世間では建築は単なる「経済活動」でしかないからだ。しかし私が切に願うのはそのアカデミズムを守り通して欲しいのだ。

世間では「経済活動」にしかなり得ない「建築」も、その多くは「藝術と技術」「理論と感性」「社会性とプライベートの両領域の社会学」などに深く根ざした世界であるから、「大学」という場所でその醸成を行い、守り、後世に伝えその学位の価値を守らねば社会に出て行った建築を目指す者たちのその足元が揺らぎかねない。とりあえず若者も低レベル大学の「建築学科」に行かなくていいから、「学究の徒」の方々にはアカデミズムを守り続け進化させて欲しい。

個人的には、社会の中の一つの法人としての経済活動の中で(経済活動でしかあり得ないが)、ソーシャルビジネスとして建築を捉え始めたらどうだろうと考えている。「私どもが建築を造る事」と社会との関係を見据えながら、もう一度我々の立場を明確にして行きたいと考えている。

アカデミズムの世界で「コンテナハウス」のことを話したらどんな反応が帰ってくるのか試してみた。意外と某W大学(どこが某や・・・)の研究職の方々と話しても、わりに真面目に「コンテナの事」を聞いてくれる。でもさすがに「コンテナで建築基準法がクリア出来ますか、○×の部分は問題なのじゃないですか」とポイントは瞬間的に解ってくれる。それらをどうクリアしたかの話は興味深く聞いてくれるし、その苦労もすぐに推察してくれる。解る方には解るんや・・・・。

という所でまた続きはいつか・・・。

シドニー・オペラハウスとコンテナハウス

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シドニーオペラハウスは、ヨーン・ウッツォンという建築家の設計によるものだが、極めて多くの「工業化手法」が用いられた建築物でもある。

工業化がアート的発想にとって何かを妨げるものではない事を示す好材料でもあるが、そんな事当たり前でもあるので話題にする必要もなかったかも知れない。ただ、何となく「職人的」あるいは「人為的」あるいは「情状的」あるいは逆に「恣意的」なものこそアート的だと思われていた時代もあったので、少し説明的になってしまったのだろう。ヨーン以後ではサー・ノーマンフォスター(英)が、工業化手法を使いながら(時には航空機製造技術を建築にまで)アートな建築を造り出して行っている。

つまり、工業化建築が「アート」としてのレベルに達する時、何が起こっているかと言う事を考えると、工業化のシステムを一つの「素材」として扱い、ある種システムの枠を超えてそれらが昇華された時にそのものがアート化するという状態になっているような感じを覚える。

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コンテナハウスをそれなりにかっこ良く、「ほうこれは・・・」と思える状態に持って行く方法は概ね分かっているが、コストや構造の方法に限界はあるので、思ったままに計画する事はなかなか出来ない。概ね最近はコストの問題の方が大きいかも知れない。そうはいいながら、いい作品を目指して日々取り組んでいる。工業化建築としてのシステムを整えながら新たな作品が生まれる事を目指している。

ゲニウスロキ(genius loci=建築の地霊)とコンテナハウス

「建築の地霊」といっても、イタコ(爆)の話ではない。土地が持つリージョナリティーに対するマッチングの話と思っていただけばいいだろう。

建築は「土地」あるいはロケーションあってのものである。当社のコンテナハウスは「設置後」でも「移設」が可能である事が一つの特徴であるが、トレーラーハウスではないので、積極的に動き回ろうというコンセプトではない。その可能性がなかった建築に対して、いざという時の可能性、あるいはその動体性能が持つ「増築性」また逆に「減築性」「移動性」「サスティナブル性」などの新たな価値を付与しようというものである。

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その事と、リージョナリズムが双反するものだとはわたくしどもは考えていない。コンテナハウスのコンテナは実は「コンテナ構造体」と考えていただければいいだろう。最もシンプルな場合、コンテナ構造体がそのままビジュアルとして現れていて、「コンテナが建築になっている」状態に見える。

実際にコンテナ建築システムの中で、最も根幹をなしているコンテナ部分は概ねすべてが構造体である。建築基準法的にはその「柱」と「梁」だけが構造計算上カウントされ、壁や屋根は計算に付加されておらず、「より強くしてくれる要素」としか見ていない。しかしコンテナの現実の建築の中では「壁材」も「屋根材」も構造強度には寄与している。

その構造体に「断熱性能を持った外壁」や、「やはり断熱性能を持った内装工事」、「空気循環をする為の空気層」を作ったり、地域の土着的建設資材を使い、ビジュアル的にも地域性を醸し出したり、プラン上もその地域が持っている民家の伝統的プランを取り入れたりする事によって、地域文化への同化あるいは同期を考える事もある。

文化はある一定の状態で固定化されるものではなく、変化をして行く。その変化が一般的には「進化」とされる場合が多いが、考慮が足りなければ「退化」という事にもなる。コンテナハウスのビジュアルや組み合わせで出現するプランは実は限りなく広がる。それらを我々は「メタデザイン」というコトバと「コンタクトデザイン」というコトバでくくり分けしながら、日々進化していく文化の様相に対して、そのソリューションの一つとして、提案出来るスタイルを作り上げて行こうとしている。

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老人福祉施設とコンテナハウス

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例えば、40FEETX8本+20FEETX10本を使い、図面のような、30人クラスのデイサービス施設を作る事が出来る。
プレファブ建築でももちろん出来るが、コンテナハウスは実は「重量鉄骨造」であり、地震などにも圧倒的な強度を誇る。しかも価格もそう変わらない(そう変わらないけど、多分プレファブの方が少し安い<爆>)そりゃそうだろう。トラックで運ぶ時点で震度7強を超え、ラフタークレーンで完成品を吊り上げても、壁にクラックすら入らない。運んできた時点でその地震への強度を証明している。耐震強度を証明しながら運んでくる建築なんて他にありません。

ある意味オーバースペックという事にもなりますが、いいじゃん強くてリーズナブルなんだから。老人福祉施設や保育園や、幼稚園などは有事の際には一時避難所になってもいいような機能を持っている建築物だ。だから、十分な安全性は確保しておきたい。準公共施設のようなものだ。

実は老人介護の世界も競合が激しさを増し、今後益々その傾向は高まるという。世界に例を見ない高齢者社会はついに始まってしまい、その成り行きを世界の先進国が見守っている。日本は失敗するのか、それとも世界に先駆けて成功モデルを作って行けるのか。

その競合を生き残るため、建築もコストカットを迫られる。一生に一度でいいから「好きなように予算を使っていいよ」と言われてみたい。それでもリーズナブルな方法を考えようとしてしまうのだろうな。枕詞のように「予算はないので安く・・・・・」と言われ続け長い年月が流れた・・・(爆)。

建築の勉強をする若者達が結構そばにいるので「君たちは未来だ、未来そのものだ」と思い、そのような話をする(じじいか・・・)。でも本当にそう思う。そして「じじいやばばあは歴史そのものだ」と思う。その高齢者の尊厳ある生涯を静かに明るく生きて行く施設を作るのは、施設の設計をするのは建築家だが、運営をしていくものが本当のその世界の構築当事者だ。大事にしてくれと思う。政治家は大事にして行ける法整備と予算をつける担当者だ。そしてその実務を役人が担う。

それらの原点なんて誰もが知っている。しかし現実の世の中はうまく進んでいると感じる事は少ない。それらの歯車が合わねばならないのだ。どの世界でもそうだがその改革をやって行くのは「運営者」しかあり得ない。どうがんばったって、何を言ったって「建築家」はそれらの事業の一部をお手伝いする、専門的プロフェッションの持ち主でしかあり得ない。

コンテナハウスを心地よい福祉施設として構築する自信はある。そして少しコスト的にも建築の安全性や、心地よさなど総合的な部分で有意な意味を持って「コンテナハウスで作りましょう」と言う事が出来る。コンテナハウスは高齢化社会の中で役に立てる建築システムなのだ。

Interceptor 邀撃(ようげき)戦闘機とわたくしどものコンテナハウス


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邀撃機(ようげきき / Interceptor)とは、戦闘機の一種であり、特に国土・都市・軍事施設等を主に敵の爆撃機の攻撃から護るために、迎撃をする事を目的とするチカラである。すなはち、守るべきものがここにあるのに、「敵」が圧倒的な破壊力を持った重装備で仕掛けて来たら、なんとしてでも守らねばならない。そしてこの想定の敵は「爆撃機」のような比較的大型の破壊力を持った攻撃を仕掛けてきたときを想定している。攻撃にも色々あって、前線の撹乱と戦意喪失を狙った「複数の戦闘機」などによる、とっちらかし先端攻撃ではなく「じゅうたん爆撃系」の重度のダメージを与える系だ。

その攻撃を阻止するフォースが「邀撃」だ。そのため敵の爆撃機などが飛行する高高度へ短時間で到達出来る強力な推進エンジン、爆撃機を撃ち落すためのそれなりの攻撃力が求められる。反面、あくまで対爆撃機用の攻撃体であり、対戦闘機戦闘はあまり考慮されていないため、運動性・格闘性能は戦闘機同士のエアバトルを想定していないのでそれほど重視されない。拠点防衛の為の兵器というのがこのインターセプターである。つまりF22というよりはF18って感じ。ま、これらの戦闘機は装備次第で「インターセプター」という言い方はされるのだが、F22にいたってはある意味「爆撃機」並の装備も可能だから、「邀撃機」という概念ももう変わっていくのかもしれない。

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例えば、いうなれば、とんでもない巨漢のおっさんの攻撃から、彼女を守るためには、そんなヘビー級のおっさんが近づいてくる前に飛び出ていって、おっさんのケツに一発ケリを食らわし、ひるんだスキに向こうずねをこん棒でなぐるというすばしっこい攻撃を旨とし、映画でヒーローがよくやるような自爆の道を巨漢のおっさんには用意してあげるという戦略が必要だ。世間的にはこの概念は生活でも、ビジネスでもまだ通じる。応援団にもいるじゃないか。特攻隊長だ(爆)。

法人がある程度の企業成長を始めると「邀撃隊」が必要となる。インターセプターチームだ。世間に出てくる釘は、時の権力を持つものに打たれる。その時チカラを持つものは、新たな台頭者が怖いのだ。打たれる前に相手の向こうずねを打ち抜かねばならない。ただ我々は、このジャンルで先人はいないのである意味敵は少ない。平和裏に生活は過ごしていかねばならないが、現実のビジネス社会は戦闘である。かつて戦国時代家長は戦場から敵の首を持って帰れば「ご主人様はすばらしい!」と言われていた。現代でも命かけて戦わねば何も残らない。こちらがやられてしまう。そのとき本当に必要なものは「知恵」=邀撃力である。

そんな知恵者に私どももなりたい。

コンテナハウスは、「中古のリユース」を超えて新たな世界を構築し始めた。採用される意味はリユースのそれとは別の意味だ。「可搬性」「ロジスティクス性」「サスティナブル性」「デザイン性」「短い工期」知恵の限りを尽くして邀撃力を高める。

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「ビーグル号航海記」とコンテナハウス

ガラパゴスを訪れた「ダーウィン」が記した、ガラパゴスの生物の記録が「ビーグル号航海記」である。生物の種について深い考察をしたダーウィンはその後「進化論」を発表する事になる。独自の進化を遂げたガラパゴスの島々の生物たちの観察によって。生物の種とは当時信じられていたように不変な物ではなく、変化しうるのではないかと考えるようになった。

概ね進化論は正しかったが、その後の研究では「進化」のきっかけは現在は「突然変異」が大きなトリガーとなっていると考えた方が自然ではないか?という事実は多くの研究者が認めている。つまり高い木の葉も食べられるようにジラフの首が少しずつ長くなったという考え方は難しく、突然変異によって長い首のジラフが生まれ、突然変異はDNAに組み込まれるため、子は首の長い、背の高い木の葉でも、補食するのに適した長い首のジラフが生まれ、生き残り、やがてジラフはその遺伝子を持つ子孫が繁栄し、首が長いジラフしかいなくなったという考え方だ。これはジラフで進化中の首が中くらいのジラフの化石や白骨化死体などが見つからない事によって自然と語られ始めた。

孤独な島「ガラパゴス」では、島の中だけで固有の進化をしたものだから、独自の進化を遂げ特有の種が多く存在するという結果にたどり着いたのだが、長い間、それらの種以外の生物にさらされないものだから、海を越えて「新たな種」がやって来たりする事が実はコワイ事件に繋がったりすることがあるらしい。

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まるで遭遇した事もない「種」がもし天敵的な脅威を持っていた時には、あっという間に「絶滅の危機」に立たされるというのだ。確かにそれは解るような気がする。「よゐこ」ばかりの都会の「私立小学校」に、九州の炭坑町から「洟垂れの空手得意な乱暴やさぐれガキ」。が間違えて転入試験を突破し、編入して来たら「よゐこ」達はひとたまりもない。いや、私立小学校がガラパゴスと言っているのではないが、やさぐれガキに絶滅の危機に立たされるのは間違いない。

「独自の、独特の文化の中で、高度な成長を遂げた」というと、何かピンと来るものがありませんか?そうです。日本国です。
これは「生物」の話ではありません。日本と書いて「ガラパゴス」と読んでもいいのです(爆)。日本企業の技術やサービスが、日本市場の中だけで高度に発展してしまう様子を言っている訳です。技術やサービスが特殊化しその結果、日本企業の海外進出が難しくなるばかりか、日本市場の危機も招いてしまう。
おまけに日本国は小学生から英語を教えているのに、こんなに英語が上達しない国民も少ないのかも知れない。それはある学者によれば「日本語の文法」が大きく邪魔をしているという話も聞いた事があるが定かではない。それらの障壁もあいまってさらにガラパゴス化が進む。

i-phoneの衝撃。そらやって来た「天敵的外来種」だ。黒船だー!。i-phoneは適切な例ではなかったかも知れない。ホンモノの天才スティ-ブンジョブスが相手じゃかなわない。IBM互換機ばかりの時代になっても、Macだけは生き残っている。その生命力にスティーブンジョブスの天才を感じないなんて、やっぱあなたは盗人ゲイツのマシンでも使ってなさい。
あ、話がそれてしまいました。そんな事は既に過去にもあったよ。NECの「独自規格」がIBM互換機にやぶれ独自規格を撤廃した。それまではPC-9800の独壇場だったけどね。世界に通用するものを造って行こうよ。さて、ガラパゴス日本の「独自進化技術」たちの中には、世界に通用する技術は多く存在する。概ねガラパゴス的なものとはそれらの技術を使った「サービス」がガラパゴス進化をしているのだ。

華僑的人生絶賛論 (日本が生き残るために)

華僑(かきょう)は、中華人民共和国の中国共産党政府の定義によると、「中国大陸・台湾・香港・マカオ以外の国家・地域に移住しながらも、中国の国籍を持つ漢民族」を指す呼称である。外国籍取得者の華人に対しても使用されることがある。中国を愛し、中国の家族も大切にしながら、国際的に活躍するある意味インターナショナルピーポーである。

世界に張り巡らせられたロジスティクス網、「コンテナのロジスティクス網」はガラパゴスシステムではなく、ワールドワイドシステムだ。建築がその特質を得る事が出来たら、ガラパゴス進化ではなく「ワールドワイド進化」をする事が可能だ。

コンテナハウスは今、世界中で動き出している。ロスアンジェルスの仕事が始まる。

コンテナハウスとモシェ・サフディ

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モシェ・サフディーという建築家がいる。読者達は上記の写真で見知っているかも知れない。シンガポールにあるビルだが、彼はルイス・カーンの弟子でもあり、ベースの活躍地はカナダだ。

最近作風がずいぶんと変わりシンガポールの上記の作品は「モシェ・サフディー」とは気づかなかった。なかなかどうも思いつかない画期的なビルであります。

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ずいぶん昔の事だが、ティピカルな彼の作品は下の写真で、メガストラクチャーの中にユニットが差し込まれたモントリオールの集合住宅がひとつの代表作でもあった。概念的には、最近書いた「ロバート・クロネンバーグの動く家」の実現版のようにも見える。クロネンバーグの場合は45度に傾斜したメガストラクチャーが全体を支え、その成長が無限である事を示唆する概念設計であったが、それを実現化するとこのようになるのかと思わせる実施作だ。

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RCで作られたユニットを「コンテナ」に置き換えれば、コンテナハウスのムーバブルハウスになる。写真からはすぐさまには解らないが、このユニット達は「メガストラクチャー」の上に乗ったり、吊り下げられたりしている。

わたくしどもが、コンテナハウスを開発して行く上でひとつのあり方としている作品だ。

コンテハウスと幾千のプラン集

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描いてきたプランはファイル数を数えても3000プランを下らない。「平面図・立面図・断面図」基本の図面だ。わたくしどもはそのプランを描いて行くとき、平面図の中にも、立面図の中にも、断面図の中にも人の姿を想いながらプランを進めて行く。

実は大きな悩みがあった。コンテナの横幅は外形寸法で「2438mm」。内法で「2150mm」程度だ。この寸法がヒューマンスケールという考えの元では少々寸足らずだ。それゆえ幾千ものプランを研究して来た。我々のコンテナは連結のシステムと拡張システムでそれに対応してきた。いわゆるサブシステムの開発だ。

「ユニット工法に自由度を」という考え方は、特に珍しい話でもないし、モジュラーハウジングというコトバの本当の意味はこの自由度を規則性のあるシステムの中に構築しようとしてきたものだ。西欧ではル・コルビュジェがモジュロールを唱え、日本にも古くから「木割り」という考え方が存在した。日本人の中では「畳のユニットサイズ」が古くから染み付いている。「立って半畳寝て一畳」。 あ、もう畳のない家も多くなりましたが、まだ日本人ならその寸法感覚は分かるでしょう。

工業化建築をアーティスティックなレベルに持って行くのが我々の目標です。

鉄とコンテナハウス

鉄への想い、現代建築素材、3つの原風景

水銀

幼少の頃、毎夏、父に連れられて夏休みの最初の週末は「海水浴」にいく慣習があった。海のそばに済んでいる訳ではなかったので、楽しみなイベントであった事を覚えている。バスや電車を乗り継ぎ、いつも決まった遠浅の海に連れて行ってくれた。海にアプローチする最後の交通手段は「私鉄電車」であった。日頃電車に乗る事はない年齢の頃なので「乗りもの」そのものが非日常であり、オトコを目指す少年には電車という「乗り物」も格好の興味対象であった。運転席の横の最先頭の窓の所に陣取り、進行方向と運転手の一挙手一投足を見つめる。なぜ「レール」の上を走る乗り物が出来たのか、その意味すら解らない年齢の少年は前方のレールを見つめる。そのレールの先には「海」が現れるはず。次第に景色が変化し、松の防風林などが現れ始めると海が近い事を既に学習していた。

レールは太陽の方向によっては「水銀を流した」ように輝き、車輪が走る面は光沢に満ちているのに、側面は錆色だ。そのコントラストは同じ「鉄」とは思えない。進行方向、見つめる先は「未来」だ。そして車内は「現在」。通り過ぎた景色は「過去」だ。なんだか本当にそんな風に思える。未来に向かって走る電車。この時輝いていたレールは「鉄」によって出来ている。レールをじっと見ると、そのソリッド感がたまらない。間違いなく「人工物」、しかも英知が生み出した人工物。30トンもの車両を支えるレールは、ソリッド感があるとはいえ、無駄な肉をそぎ落とした見事な形だ。

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鉄の事を考えたのはその時が初めてだろう。鉄道の本を読む。レールは時代とともに長くなり、ガタゴトいうその音の原因は「温度による膨張と収縮」を飲み込むための「隙間」を渡るときの音。現代では枕木に強烈なチカラでレールが固定してあり、その収縮さえ押さえ込んで「隙間」をなくし振動を抑えている。人知は発展し、様々な知恵をつけて行く。私の興味はしかし、電車にはいかず、レールという「鉄」に収斂して行った。

コンクリート

小生は「炭坑町」の生まれだ。竹を割った様な性格のさばさばした人間が多い、自ずとその性格は「短気」とも直結する。優しくて強くて押しが強くないと生きて行けない世界だ。その「炭坑町」は全国の炭坑町と同じく、新エネルギーの登場で衰退期であった。
街のそこここに「廃屋」がある。少年たちにとっては、イコール「遊び場」である。悪ガキたちと病院の廃屋でかくれんぼをしていた時だ。中庭に「井戸」があった。もう内部は土が入れられ廃井戸となっているから決して深い訳ではない。その中に隠れ、横たわり空を見上げると井戸の中から見上げた空は、井戸のまあるいコンクリートの縁に切り取られたまあるい空が見えた。コンクリートにきれいに丸く切り取られた空が奇麗だった。「空を切り取るコンクリート」。「コンクリート」を初めて意識した日だ。

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ガラス

私が幼少の頃といえども、「ガラス製品」は普通に存在した。ガラスの器、ガラスコップ、窓ガラス。特段珍しい訳でもなく、いや、むしろ手の込んだ「切子のグラス」なども普通に存在した。工芸の世界である。昭和の30年代の事だ。まだテレビが普及し始めようとしていた頃だろう。家のテレビを見に、近所の子がやって来ていたりしていた事も覚えている。そのテレビのニュースを見ていた時、海外のニュースを伝えるコーナーでフィリップジョンソンの「ガラスの家」が紹介された。実際の建設年からすると数年経っての紹介だ。だんだん噂になってからの紹介だったのだろう。
フィリップジョンソンという建築家の作品とその時伝えたかどうかは記憶にないが、その映像を明確に覚えているのでミースファンデルローエの「ガラスの家」ではなく、フィリップジョンソンのものだとわかる。その事実は今となって分かる話だが、そのときの衝撃は「ガラスで家を造れるのか」という驚きだった。家の中を動く人の姿もニュースの中では見え、当時「未来感覚」を感じた事を覚えている。衝撃的に「ガラス」を初めて意識した日だ。

ただ、気の利いた日本人なら、こんな建築、昔から日本にはあるじゃん。という事を思うかも知れない。木造軸組工法(日本の伝統的木造工法)のビジュアルには近く、ブルーノタウトが海外に紹介し、多くの海外の建築家に影響を与えた桂離宮なども同じジャンルに見えるかも知れない。障子の部分がガラスになっただけじゃん。って。しかし、構造の方式は大きく違う。

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ミース・ファンデルローエ(ガラスの家)

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フィリップ・ジョンソン(ガラスの家)

※余談 ミースとフィリップ・ジョンソンのガラスの家の大きな違いは、ミースのそれは「宙に浮き」フィリップ・ジョンソンのものは大地にどっしりと根ざしている。重力からの解放を狙ったミースと、大地の上の空間を切り取ったフィリップ・ジョンソンの思想は大きく違う。しかし彼らはよく仕事を共にしている。ミースは根っからの大建築家、フィリップ・ジョンソンは哲学者からの変異建築家。「技術的技量」と「美意識」の総合力はミースという一般的認識は、両作品を見るとわりと明確か・・・・。

「鉄」「コンクリート」「ガラス」。それらは人工物でありながら現代生活ではしっかりと根付き、まるで自然素材のように存在している。この三つは言うまでもなく「現在建築の三大素材」である。現代でもなおこの建築3大素材に加われるものはない。あとは性能を上回る特殊代替品や、その特性をさらに拡大させた改良品が多い。人が作り出した素材ではあるが、すべて元は自然のもの、人為的な化学的成分などは入っておらずその部分でも長く使われる素材としての要素を持っているのかも知れない。

鉄は日本の高度成長期を見守りながら成長して来た。他の要素も同じであるが、様々な利用方法は、その多様な形を「整形」出来るからこそ生まれた世界がある。そして「溶接」という「結合方法」から生まれる世界もより多層的な世界を生み出した。コンテナハウスも鉄骨造である。溶接の技術は極めて重要な要素である。コンテナハウスに興味を持つあなた。もしも本気で考えるなら、頼もうとしている会社に「溶接について語ってもらえないでしょうか?」と聞いてみてください。溶接について楽しげに語ってもらえる会社に依頼するのがいいかも知れません。

コンテナハウスと東京タワー

東京タワー 技術の革新 夢の日本(少年の夢)とサンボリスム

1958年10月14日東京タワーは竣工した。日本人たちは当時世界で最も高い自立塔を建てた事により、日本の技術の進展を確信し、明るい日本の将来をその塔の向こうに見据えたものであった。ビジュアル的にも333Mという確かに巨大な「塔」はその偉容を日本人の心に焼き付けた事だろう。構造家の内藤多仲と日建設計の設計によるもので、確か施工は竹中工務店と記憶している。私が物心つき、少年になった頃はまだ東京タワーが建って数年後だった。まだ九州の山猿だった私は本で見る「東京タワー」をいつか早く実際に見てみたいものだと何度思った事だろう。かなったのは高校3年生の時だ。「凄いな日本人。世界一高いタワーを建てたり出来るんだ。自分もやがてそんな技術者になりたい」と願った。日本はその後高度成長に向けて欧米の猿真似(爆)をし、努力をして行くうちに、猿から類人猿に進化し、やがて名誉白人などとよくわからない自虐的単語も生まれたがそれにも屈せず、技術革新と経済成長に走って行く。俺たちにだって出来るんだ。俺ら日本人は優秀な民族なんだ。そう信じて日本人みんなが走って行った。それも凄い勢いで・・・・。それが間違いだった事はやがて解って来たが、幸せだった。そして概ね皆が同罪だった。

日本は技術革新やものづくりで国の基盤を作って行った。様態はちがうのだが、成長の雰囲気は今の中国に似ている。ただ成長のただ中にある時は、奇妙な団結心的なものがあり、ある意味それは現代では嫌われる事が増えて来た。日本人特有の「集まって進もう」とする、ある種奇妙な一体感、ある意味強迫観念があった。民族意識というものに近いかも知れないが、一人外れるのが怖いのだ。経済成長をピークに持って行ったのは「大阪万国博覧会」だ。これをを引き金に高度成長時代のピークが始まる。古い書物をひもとき、当時のパビリオンなどの写真を見てご覧なさい。びっくりです。まるで「北京の万国博覧会」と同じ列にある事がわかる。でも岡本太郎の太陽の塔は悪くない。岡本太郎は「藝術」を「ゲイジュツ」という雰囲気にまで庶民的な部分に降ろしてくれた。文化と観念の様態に対する個人の感性が「ゲイジュツ」と呼んでもいいのだ、という事を国民に知らしめた。私は戦後の生まれだが、特に豊かな環境でもなく、現代からすれば周りはみんな比較的同じく貧しい環境だったといえるだろう。

筆者の親の世代が、ぎり戦争に志願すれば参加出来る年齢だった。そのような家庭でも「ルノワール展」や「ツタンカーメン展」、様々な海外美術品の展覧会が催されれば見に行くような、経済成長の裏には「文化的なもの」が欲しいと感じるステレオタイプな感覚も生まれ始めていた。東京タワーはそんな日本の象徴だった。「塔」というものは、生まれながらに「象徴性・象徴機能」を持つ。何の象徴かは様々だが、その大きさ、カタチ、偉容、などから自動的に「象徴機能のチカラ」が生まれる。昨今で最も大きな「塔」は最近その予定最高高さまで達した「東京スカイツリー」であるが、最もダイナミックなチカラを持つ「塔」は私は「六本木ヒルズ」である事を疑わない。奈良時代などに時代をさかのぼっても、権力者は「塔」を作りたがる。聳える塔はその時代を統治する「権力」で技術や経済力を自由に動かす力を象徴し、街に棲む人々にその権力者の力を誇示する。そして権力者は「塔」の上から自分が統治する世界を見下ろしたいのだ。

六本木ヒルズ

しかし、その塔を眺めながら「チカラ」を滾らせる者が生まれてくる。虎視眈々と次世代を狙う人々だ。何も社会転覆を狙う者ばかりではない。「違うだろ」「そうじゃないだろ」「間違っているだろ」と疑問符を体中に貼付けた人種である。ある意味象徴物に触発された「現状不満型優秀人間」である。これらは正しいチカラを生む事も多い、その反対も多い。それらのキーマンのフォースに影響を受けた人々が少しずつ膨らみ「フォース」を生み出して行く。例えばこの「フォース」という概念は、映画「スターウォーズ」で登場する「フォース」という概念と意味合いは同じである。フォースはことわざにもあるように「類は類をよぶ」状態を生み出す。企業文化においてもそうである。超巨大企業ではもう「社会」と同じであるからわりと分散しているが、「上場企業になりました」という感じで、その後はそのままそれほど成長していないようなレベルの企業の構成員はまさに「類は類をよぶ」状態である。 魑魅魍魎系はやはり社員がみな魑魅魍魎系だし、火事場泥棒系はやはり皆火事場泥棒系だし、有象無象系はやはり社員も有象無象だ(爆)。

東京タワーは、ある意味いい時代の象徴物だ。「古き良き時代」というコトバがあるがわりとはまるような気がする。なぜなら「日本人に勇気と希望を与えた」「私たちの味方」であった。権力の象徴ではなく「私たちの希望」であった。それを眺める人の心には「なんだか私にも何か出来そうな勇気」が生まれた。そうさせるのは「時代背景」や「公共的電波塔」であったりする事によるが、最も大きなのはやはり「時代背景」だ。日本が民主化の道を歩き、国民一人一人に、「貧しいのに明日の希望が生まれ始めた時代」だったからだ。リリーフランキーの「東京タワー」が描いた世界だ。

大震災が誰もが目をつぶって忘れていた「パンドラの箱」のふたをこじ開けた。夢の「エネルギーの塔」は国民を絶望の縁に立たせている。いくつも並んだ傷ついた「エネルギー塔」はガンマバイアスアタックとなって、常に人の気持ちを突き、気持ちを萎えさせる。技術の革新は人々に夢を与え、事実幸せにするものでなくてはならない。コントロールすら出来ないバケモノ技術を造り出してはならないだろう。決して世はそれを望んではいなかった。そして後の祭り。それが悔しい。

新たな居住システム、あるいは商用空間、または福祉施設、現代は技術は十分に進み、技術的に新しいものは特にある訳ではないが、コンテナのシステムは新たな技術の使い方を目指す建設のシステムとして開発してきた。このシステムで我々は出来る限りの事を行って行きたい。建築が作り出すものの目的は「物理的空間」だけではなく「その空間によって生まれる物語」だ。