“La Ville radieuse”Le Corbusier(輝く都市)とコンテナハウス

そして「昔見た事のある懐かしい未来」

東北大震災という出来事は、日本国民にとって、あらゆる価値が転換、逆転、大変化、パラダイムシフト、色々な言葉が当てはまり、うろたえた年になった。まだその余波は消えない。多くの建築家にとっても「建築のあり方が問われた」年になった。日本国そのものも、ささやかれる言葉はすでに「再生」「やりなおし」「逆転」はなるのかと、国の価値そのもの、あるいは経済的な価値がすでに崩壊し、それがを再生出来るかが論点となっている。経済世界は「虚構経済」の世界的崩壊を叫び、「実質経済」の発達へ戻るべきだと語る学者が増えた。

世界システムの危機はとうに20年以上前から論じられていたにもかかわらず、高偏差値経済人たちはマネーゲームで経済を引っ張って来た。そりゃそうだろう。それが出来る人材がもてはやされ、MBAたちはそれを目指した。生産をしない実態のない経済が世界を支配し、生産するものたちから利益を吸い上げて行った。今までは企業も社会的になればなるほど、その輪の中に取り込まれていたのだ。なくなりはしないが、それで生きて行けるものたちは漸減して行くだろう。

なぜなら、「経済社会における民主化」が世界中から巻き起こって行くからだ。「生産するものたち」は気づき始めた。「アラブの春」はなかなか成功しないが、経済を操るものたちからはなれて「知恵と知識」で「生産者たちの春」を作り始める。

まあ、それとは関係なく、戦後造られた世界システムが、グローバル化の中で大きなひずみを持って成長して来たこの現代の状況は、あまりにも理不尽で、そんな中での戦いはもうこりごりだ。実体経済を支えながら文化を形成していける正しい創造活動をしていきたい。

かつて1930年頃、建築界の巨匠「ル・コルビュジェ」は「輝く都市」という構想を発表し、近代都市の今後のあり方を主張して来た。当時ヨーロッパではあまり受け入れられなかったが、その後世界各国でそのコンセプトをベースに都市や建築が作られて行った。成功したとは言わないが、実際には現代社会の都市の多くはそれをベースに進んでいる。デファクトスタンダードだ。日本でもアークヒルズや六本木ヒルズはその思想に感動したという森ビル社長が「都市開発のコンセプトの原点としている」と公言している。

コルビュジェ著「輝く都市(1930年)」のスケッチ

3.11以来私はその時代は終わったと考えている。多様性が求められ、都市部と同じ方法で地域や地方を形成する事は出来ないし、リージョナリズムが強化されて行くだろう。
そして早い転換が出来た時に日本は再生する。

「昔見た事のある懐かしい未来に今後は向かって行くべきだろう」という言葉は実は「姜尚中(カン・サンジュン)」東京大学大学院教授(政治学)の言葉である。単純に過去へ回帰して行くのではなく「懐かしい未来」という言葉の中には実は多くの深い意味を内包しているように聞こえる。独特の語り口、正確な表現、頭の良さを感動を持って感じさせるこの論客は、私に中のスティーブジョブスの存在のようにすべてを肯定する訳ではないが(別種の世界ですが)韓国人にもこんなすごい人がいるのかと(いや、韓国人の事よく知らないが)、いつもこの方の発言には耳目を広められる。

「昔見た事のある懐かしい未来」とは、経済的活動も「実体経済」を中心に動き、造るべきものを造り、その中から文化が形成され、余裕のある者(企業)が、社会的信念に基づき行うべき活動に経済的支援を行い、育つべき者(物)が育ち、交換価値から使用価値へと価値観が変わり、サスティナブルな経済活動の中で世界が構成されて行った時に現れる。世界経済はより一体化し、TPPも常識のある自然なバランスの中で受け入れ、その間の約束も、どこかが一人勝ちするためではなく、あるいは過保護するためでもなく、行うべき規制は、あるべき規制の中で行われ、ルールを守りまさに「サスティナブル」である事が評価の基準になって行くだろう。

建築もそうだ。建築材料、その使い方、その中で消費されて行くものと生成されて行くもの、生み出される文化そのバランスの中で「真のサスティナブル性」が社会的に収斂されて行く事になるだろう。その着地点に到達するには大きな社会的努力が求められるが、その努力が払われれば払われる程、収斂ポイントには早く到達する事になる。「勝ち組になるために」という思想ではなく、企業は「勝たねばならない」のだが、勝ち残る事が「サスティナブル社会」への道になるという「賢い選択」を「社会が出来るようになる事」だと考える。

ちょうど、インターネットが社会デビューしたとき、情報を自ら取捨選択し、情報を選び抜く自分自身のチカラを付けなければ生きて行けない時代に入ったと私は常々論じて来た。それに加えて「サスティナブル」という言葉に象徴される「成長のモノサシ」を持たねばこれからの未来はあり得ない。その行く先に「昔見た事のある懐かしい未来」が待っているように私には思えてならない。

写真はリートフェルト「シュレーダー邸」1924年(世界遺産指定)オランダ・ユトレヒト
※100年経ってもほころびないもの
求めるものがコンテナハウスの中にもあると信じている。