気持ちとイメージの共有をするためにはフォトコラージュは一つの有効な手段ですが、間違ってはいけないのは、必ずその写真とは違うものになる事です(爆)。
またこれらの写真はクライアントが収集したり、自分でNETなんかから引っ張ってるから、公の場で見せるわけにはいきません。あくまでクライアントと自分のための共有手法だ。
これはテキストの世界でいう「比喩」手法に近いと考えられます。比喩の世界でも間違ってはいけない事は「比喩」は近いものをさして理解度を高めようとするための手法ですが、問題は、その事そのものではないので、そのギャップの深さは色々で、解ってもらっているつもりというのががまだ怖い。
ま、怖がらなくてもいいけど(爆)。
いいですか、この写真たちを少し距離をおいて眺めながら、その要素を頭の中で抽出して行き、その要素を整理し直し、自分のデザインボキャブラリーに置き換えながら独自の世界を作る。結果としてフォトコラージュとは別のものが出来上がるし、それでいいのです。あるいはそうでなければならないのです。
普通の手法です。