読者が一番気になるコンテナハウスの記事

読者が一番気になるコンテナハウスの記事を発表します。サーバーへのアクセスから解析したものです。コンテナハウスとして検索が多くされているもののランキングと、その関連記事を纏めました。

No_1.コンテナハウスで作るガレージ

コンテナハウスで作るガレージは、確かにクルマ好きにはたまらない最高のマッチングです。ガレージのデザインコードとクルマのイメージの取り合わせは抜群。ガレージハウスにまで持っていければ最高ですが、ガレージだけでも「コンテナ」で作りたいですね。

最高峰のガレージハウスの実績はこちらに掲載しています。ウチの設計監理です。

https://i-container.jp/%e5%85%b8%e5%9e%8b%e7%9a%84%e3%82%ac%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%83%8f%e3%82%a6%e3%82%b9_tsunoda%e2%98%86base/

また、ガレージの総合記事としてはこちらにもあります。

ガレージを計画する上でどのようなことが出来るか解説しています。

No_2.コンテナハウスで作るカフェ

コンテナハウスと「カフェ」これがまたマッチングのいい組み合わせです。ちょっと非日常的なビジュアルと雰囲気。

これらの記事は代表的なものはこちらにあります。

カフェに関しては「固定ページ」で「コンテナカフェ開業コーチ」という開業情報というか開業のためのコーチ記事を50記事にわたって書いています。ぜひ読んで開業に役立たせてください。

No.3.は、コンテナハウスで作るガレージの中でも「DIY」ガレージ の事

さて、自分でガレージが出来ないものかという興味ですね。わかります。クルマをいじるような方はガレージくらいセルフビルドで建ててみたい。そんな方のための記事はこちらです。

No_4.コンテナハウスで作るカフェの費用

カフェの費用そのものはここにあります。あるスケールを想定した時の建築費の内訳を書いています。

また、カフェではなく住宅の場合ですが同じ事です。

https://i-container.jp/%e3%82%b3%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%8a%e3%83%8f%e3%82%a6%e3%82%b9%e3%81%ae%e4%be%a1%e6%a0%bc/

No_5.コンテナハウスの一般的価格体系
上記の記事で解説しています。どうぞご覧ください。

6.コンテナハウスで作る「別荘」

「別荘」という概念は、時代とともの変わって来ました。かつては資産をたくさんお持ちの方が、「避暑地」に建てる豪華な「別荘」のイメージがありましたが、今や普通に住む家さえ「タイニーハウス」でいいよ。という時代です。ライフスタイルに合わせて、別所でも使い勝手のいい「実際に週末にはいつもそこに行きます」というような使い方も増えました。またその時に豪華な別荘もいいのですが、「小さめの自分が使うだけ、あるいはちょっと友達を呼ぶ程度」というような事でこちらも「タイニー別荘」で充分というスタイルが増えています。

そのような記事ですと。コンテナハウスの別荘建築という記事がいくつかありますのでこちらをぜひご覧ください。
https://i-container.jp/category/%e3%82%b3%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%8a%e3%81%ae%e5%88%a5%e8%8d%98%e5%bb%ba%e7%af%89/

7.コンテナハウスの断熱

断熱の話はまさに最も多い問い合わせの一つです。結論から申し上げると「断熱仕様」を行いますので、何の問題もありません。コンテナは「鉄板」で出来ているのでどうしてもイメージとして「冬寒く、夏暑い」のではないかというイメージが付いて来るのでしょう。でも、建築物として作る以上、快適に過ごしていただかなくてはいけませんし、それが当たり前の世界ですから、当然その対策はいたします。「断熱」は「理論とその実践」で問題なく「止める」事が出来ます。当社では「吹き付け発泡ウレタン」という素材で止めています。

吹き付け発泡ウレタンが吹き付けられたコンテナの内側。

No.8.コンテナハウスの宿泊施設

下記のカテゴリーで宿泊施設に使えるものの解説をしています。

https://i-container.jp/category/%e3%82%b3%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%8a%e3%83%8f%e3%82%a6%e3%82%b9%e3%81%ae%e5%ae%bf%e6%b3%8a%e6%96%bd%e8%a8%ad/

https://i-container.jp/category/%e3%82%b3%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%8a%e3%81%ae%e5%88%a5%e8%8d%98%e5%bb%ba%e7%af%89/

イマドキの千葉の漁師さんの家

コートヤードを形成するプラン。屋根形状悩み中。
屋根形状はね。九十九里浜の地域ですけどね、海からの風が強いんです。それを流すような形状と思いながら、表現と機能と最終的に室内デザインに繋いで行く所を思案中です。

漁師さんの話なんですがちょっと長い。

20年くらい前に、「インターネットで街おこし」をしようという企画を企て、NETサーバーを立て、データベースを組み、とりえず出身地方である「九州全域」の行政200市町村を周り(ホント、200市町村の行政の概ね観光課とか商工課とかを訪問)し、ぜーんぶに会って話を聞いてきた。というかシステムを売りに行った(爆
行政がそのシステムに入れば(月額10万円くらい)その地域の方々は500円/月で、自分が全国に問いかけたい自慢の逸品を掲載し販売するという行政を巻き込んだ企画だった。
22年か23年前だよ。早すぎた(爆)。あの三木谷さんなんかと、インターネット協議会なんかで、「これからどうやってインターネット広げよう」と話していた頃だ。三木谷さんは雲の上の人(爆)になり、孫さんはすでに「巨人」だったけど、それでもパッケージソフト売り(この頃手伝ってた)(爆)から出版系、通信屋に変わろうとしていた頃かな。
上記企画は早すぎました。特に九州に行ったのが間違いかもしれない。「インターネットって儲かるとね?」だいたい「それなんね?」(爆)、システムの加入すると申し出てくれらのは10市町村くらいだった。皆様にこの企画は「終了しました」と丁重にご連絡し、やめました(爆)。
今考えれば残念だったのは「200市町村」を回って、そこで色々と食品ばかりではなく地産品はいろいろと調べて回ったのですが、やっぱおっさんは食いしん坊だから、200市町村の「美味しいもの」を食べて回ったわけよ。
「あーあ」ちゃんとグルメレポート原稿と写真撮っておけばよかった。それが悔やまれる(爆)。数百店舗の情報を「ネット」で発信すれば人気サイト作れたのになあ。そしたら今頃は「グルメレポーター」になって、もっとでっかくなって、成人病になって死んでたかも知れんな(爆)
あ、それで、漁師さんの話を書きたかったんやった。それだけ市町村を回って、行政の方だけでなく、農家の方や、漁業の方、金属加工業の方や、お茶の栽培をなさっている方とか、焼き物を焼いていらっしゃる陶芸家の方とか、色々と会って、インターネットのチカラを一生懸命説いたたわけよ(爆)。おっちゃんはね、こう見えても「ナイーブで、シャイで人見知り」やから、プレッシャーやら、ストレスやら色々感じてましたが、それよりその企画を売り込みたかったのだろうね。
技術屋は、妄想に取り憑かれると「そうに決まっとる」と思い込むからね、人に伝える手法が間違っていることも気づいているんです。そこがほら三木谷さんや孫さんは「鳥瞰的」に世界を見れる人達なんだろうなと思うよ。
で、その中で、漁師さんの話。「漁師」さんは狩猟民族なので概ね性格きついわ(爆)「農業」の方は農耕民族なので概ね性格柔らかいわ(爆)海に出れば大自然相手で生死がかかっとるからね。そして「獲物」を捕獲する戦いやからね。「戦士」という感じでしょうかね。でも今回の漁師さんは穏やかな方です(爆)。以上。

いや、これは漁師じゃないでしょう。

どこにもないコンテナハウスのデザイン

コンテナで何か建築物を作りたいと願う意味。

その1.単純にローコストを狙う
その場合、中古コンテナを使ってコンテナハウスなどを作っていらっしゃる業者様もいらっしゃるのでそちらに行かれた方が多分目的は達成出来ます。別の意味で当社は中古コンテナの改造は行ってないので、当社の製品は金額面では多分「中古」コンテナハウスより高価だと思われます。ま、しかし新造コンテナでJIS鋼材仕様なのでしかたありますまい。

その2.どこにもないデザインでコンテナハウスを作りたい
なぜあなたがコンテナハウスに住みたいのかわたくしどもにお伝えください。その意味を理解してあなたの為のコンテナハウスをデザインします。

時々このブログサイトに中にコンテナハウスが持つデザイン的コードの話を書いています。コンテナハウスがもともと持っている裏に張り付いたイメージの話のことだったりします。皆さんとコンテナハウスのデザインを行っていると、実はわたくしどもでは気がつかなかったイメージを抱いていらっしゃる方がいらして驚いたりしています。

人々は実は生まれながらにして「デザイナー」なのだと思う。イメージを膨らませて、ある世界を構築する力を持っている。ただ、わたくしどもは少々建築物を作る為の技術や方法について実際に研究してきたので、そのイメージの実現方法についてはプロとして対応が出来ます。それはあなたのイメージを実現する方法をより知っているということです。

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ちょっとどこにもないコンテナハウスを作ろうとし、それを日本の建築基準法に合致させ、きちんと対応しようとするとこのような構造解析をしなければならなくなりますが、それをやるのがプロでしょう。

ここへいく為の一つのプロセスが上記の構造解析。

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傾斜地のコンテナハウス(鉄とガラスのラビリンスwith greeeeen)

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いくつかのエスキースの後におおよそ固まった「傾斜地のコンテナハウス」。出来るだけ斜面を削る体積を減らしながら計画を進めた。各層はコンテナの高さで構成されながら、アプローチは南アプローチと北アプローチの両方から可能だ。

北と南は当然建物の表側と裏側を構成する。どちらが「表」という話はどちらでもいい話だが、北側からアプローチすると40FEETのコンテナが1台だけしか見えない。

南からアプローチすると、3層の建物のように見える。

北アプローチで玄関を入ると、いきなり南の眺望が開け、アンダーレベルのルーフトップが大きなデッキを構成する。クライアントの使い方次第だが、インターフェースを構成するこの空間は「ギャラリー」にでも使いたい空間だ。

アンダーレベル1に下りると、キッチンとリビングがL型に構成され、Lのコーナーを挟んでまたリビングデッキを構成しており、外空間との調和と溶け込みを意識している。

渡り廊下を渡ると、そこはユーティリティーとバス空間が用意されている。眺望がいいのに、近隣はそばに無く、遠く離れているので、外部空間を見下ろしながらの入浴が楽しめる。

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アンダーレベル2には寝室などのプライベート空間が準備されており、一日の疲れを癒す空間となっている。それでもここは、更に下に接する道路からは4Mの高さを持っており、セキュリティーの面でも優れている。

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MEDIA LITERACYとコンテナハウス

「情報メディアを主体的に読み解き必要な情報を引き出し真偽を見抜き活用する能力」
これがメディアリテラシーの意味だ

インターネットが多くの場で活用される現代。メディアリテラシーあるいは個々の世界での「リテラシー」という概念が重要になっています。かねてより私くしどもは申し上げていますが、インターネットの黎明期からインターネットの広がりを見て来た人であれば自然と理解しているのですが、物心ついた時にすでにインターネットが普及している世代の方々が危ないのです。

大きく影響をする部分は、マスメディアの中でもテレビやラジオなどの「放送」の世界の感覚そのままでインターネットの世界に入り込んだ時です。「放送」の世界では、1対Nという関係上、読み手、聞き手、聴視者を選択するものではなく、多くの人々を無選別に相手をする関係から「放送法」という法律があり、放送内容に関して一定の基準や規定が存在します。「放送禁止用語」などというコトバは皆さんも良く知っている通りで、使えない言葉などもあるわけです。

放送法の(目的)
第一条  この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一  放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

上記の放送法の書き出しだ。これは目的なので、もっともらしい事が書いてありますが、頭の弱い人が、間違った「放送」によって洗脳されたり、間違った社会認識をしたりしないように、あるいは「放送」が反社会的な目的のために使われる事がないように、法律でしっかりとした内容、用語、などの規定が決められているのです。結果的に誤解を招くような事を放送では極力防止しようという趣旨となります。

例えば、今度は「電話」という手段を考えたとき、放送の概念とは全く違った意味を持ちます。なぜなら基本的にはこれは1対1の世界ですね。それは「放送」ではなく「通信」という世界になります。通信の世界では危ない話をしようが、エロい話をしようが、反社会的な話をしようが、それを咎められる事はありませんね。多くの方を巻き込む訳ではなく、1対1の関係だからそこは大きな規制をする事はないのです。

問題は「インターネット」です。

この世界では技術的には、ニコニコ動画のように、実はまるで「放送」のような事も出来るのですが、技術的にはあなたがニコニコ動画のサーバーにアクセスしてそのデータを取って来て初めて動画を見る事が出来るという関係からこれは放送法のいう「放送」ではなく、あくまでこれは「通信」。それも1対1通信の概念に入ります。

したがってここでは放送法は適用されず、エロでもグロでも、反社会的な事でも法の縛りを受ける事はありません。サーバーを持っているプロバイダー自身が持っている基準で、サービス内容に私的な規制する事はありますが、自分でサーバーを立ち上げインターネットに接続をするのであればその規制さえもなくなります。またこの話は「著作権」や「知的所有権」「肖像権」などの固有の権利とは別の話なので、それらに触れる事になるようなコンテンツは別の意味の法の縛りは受けます。

インターネットの情報の海は「嘘も含めてインターネット」。嘘を言ってもいいという訳ではなく、嘘かも知れない事を書いてあっても規制は受けないので、「読み手のメディアリテラシー」が非常に重大な要素になってくるという事をいいたいのです。情報の海で遭難者にならぬよう、個人の能力を高める事しか最終的にはこの問題から逃れる事は出来ません。

インターネットのおかげで世の中は劇的に変化しました。ただ新しい世界なのでそこでの犯罪や、考えもしなかった負の方向の出来事も起こっています。それらに対応するにも「読み手のメディアリテラシー」がベースになります。もちろん「発信側のメディアリテラシー」もとても重要ですが、必ずこの部分では「愉快犯」的なものや「確信犯」的なものは避けようがないので、自衛力を持つ事が最大の防御となるでしょう。

コンテナハウスは自律的に人生を生きている方々には「面白い世界」です。飼いならされ日本社会で、あるいはサラリーマン社会で「なんとなくあるべき状態」として日々を生きている方々に取って、セキスイハウスやパナホーム、住友林業の家(いや、本当にこの四半世紀の間にものすごくレベルがあがりました。それは敬服いたしております)という世界こそが「いつかはクラウン」みたく、住宅としていつの日にか取得したい世界として、まるで最初からあったかのごとく(それはまるでテレビの番組のように、あるいはクルマをカタログを見ながら選択するかのように)「イエ」とはそのようなものだと特に考える事もない方々の「イエ」の存在があり、その選択をいつかはしようと思っていたならば、突然現れた「もう一つの選択肢」まではいかなくても「もう一つの別の世界」としてコンテナハウスシステムは生まれてきたのです。

実はそのような世界はいくつか存在するのです。建築家に依頼して全く別の世界として「住宅」を設計してもらう事も可能です。あなたのコンセプトを建築家に伝え、そのコンセプトで「イエ」をデザインしてもらう。唯一の世界。なんだか上の「メディアリテラシー」の話で出てきた1対Nと1対1の世界と同じ話になってきました。住宅メーカーの「イエ」は放送の世界に近く、建築家に依頼する「イエ」はインターネットの世界のように1対1の通信世界のようなもの、コンテナハウスも同じ部類なのです。

コンテナハウスXインターネットの意味はそこにもあるのです。

豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)とコンテナハウス

日本は、自然風土に恵まれた美しい国です。春・夏・秋・冬、四季折々の恵みは、私たち日本人の生活に潤いと豊かさをもたらしてくれます。自然の恩恵に深くあずかってきた日本人は、自然のなかにあらゆる生命を育み、豊饒(ほうじょう)や繁栄をもたらす生成力を認めてきました。さまざまな自然現象に、神々の恵みと働きを感じとってきた日本人は、自然と調和した生活を理想とし、自然と触れ合うことによって、絶えずその生命を瑞々しいものにしてきました。

こうした自然観のもとで、日本人は、人間は生まれながらにして清らかなものであり、穏やかで澄み渡った心を持つものと考えてきました。そして、神社で神々をお祀りし、信仰する上で常に清浄さを大切にしてきました。神道の信仰は、人びとの生活の中で育まれてきましたが、日本人の生活基盤であった稲作農業との関わりの中で、その形式が整えられ、体系化されてきました。

稲米は、皇室の御祖神(みおやがみ)である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が私たちの祖先に授けられたものと、日本の神話は伝えています。日本の古名を豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)といい、稲穂が豊かに実る国と称えてきました。稲米は、日本の国柄そのものを象徴するとともに、私たち日本人にとって稲作は、神々から授けられた神聖な営みでもありました。

そのように自然豊かな日本国なのですが、私は四季はこの緯度のおかげ、世界のどこに行ってもこの緯度なら四季が存在し・・・。と思っていたのです。しかし日本と同じ緯度で地球をチェックすると実は砂漠地帯が多く、このように実際に植物(木々)の種類も多く、緑に囲まれる環境を持った四季のある地域(日本)は実は非常に希有な地域なのだそうだ。(出典:NHKの番組)実際グーグルを見てみた。

ほら、本当だ。アフガニスタンやイラク、チベットなど名だたる砂漠地帯だ。NHKによると、海流や気流や周りの海の環境が生み出した奇跡の環境らしい。

実はコンテナハウスは海外からのオファーも多い。概ね「砂漠地帯」(爆)だ。石油や鉱石、天然ガスなどを採掘する場所での「アコモデーション(居住区)の為の施設としてオファーがやってくる。オーストラリアなども多いのだ。オーストラリアに限っては実はそのようなユニットを製造している専門の会社があり、なかなかの供給元になっている。

我々はそれらのアコモデーション(作業員宿舎)に特化した事業をやっている訳ではないので、少々腰が引けるが、東北の震災以降その復興の為の作業員宿舎としてのオファーも多い。これに関しては出来るだけ協力をしたいが、コンテナハウスのなんちゃって業者もそれを狙ってずいぶん増えたらしく、金額の戦いになったりする。当社はコンプライアンスを守る事を社是としているので、これらの業者さんの価格帯にはなかなか落ちて行けなくて仕事を獲得する事はあまり無い。建築を真摯に勉強してきたものとしてはある一線を切って降りて行けない場所がある。建築基準法が万能な法だとは思わないが、我らが「豊葦原瑞穂国」(日本の美称だ)は法治国家だ。法によって秩序を生み出す民主国家において法を無視した活動は企業活動として行う事は出来ない。法を守るという事は国民の安心安全を確保し、財産を守れる建築物を作る為に建築基準法が存在する。その事を積極的な意味を持って守ろうとすると落ちて行けない場所は存在するのだ。

そんなわけで、美しい国日本に生活する国民は、コメ好き日本人が生成されたわけですが(爆)、実はパンも美味しい事を知って欲しい(爆、そっちに行くのか~)。日本のパン文化は主食がコメであったために「おやつ」的な「菓子パン」の文化に走ってしまいました。木村屋のアンパンを筆頭にクリームパンジャムパンといった具合です。給食でコッペパンが配られ、コッペパンのヴァリエーションとして焼きそばパンだの、コロッケパンだの、総菜パンという特殊な発展の方向へも繋がりました。でもまあこれはサンドィッチの日本版でもあるわけです。ただし、なかなかまだ貧しい戦後の食料事情を反映して作られた総菜パンなので、今思えばコッペパンと焼きそば?コロッケとパン?って不思議な炭水化物組み合わせになっています。なぜか巷では、この組み合わせはコッペパンの黄金組み合わせという事で未だにパン屋では人気の商品です。多分美味しいからではなく、懐古趣味系の刷り込み組み合わせだろうと私は思っています。

私がお勧めしたいのは、本格的な欧州系のパンです。パンドカンパーニュやバゲット、リュスティックやライブレッドなんです。ワインがかなり定着した昨今では、ワインを飲みながらの食事も増えてきました。そんなときは「パン」でしょう。ワインとパンとチーズ。この黄金トリオは私に言わせれば「黄金の発酵食品トリオ」と呼んでいます。ワインのある食卓にご飯というわけにはいかないでしょう。

当社のコンテナハウスは世界的な基準にも負けない内容を持ち、世界からのオファーもやってきます。東北の復興にも役立ちたい。美しい日本の情景にもマッチしたデザインで作り続けて行きます。

“La Ville radieuse”Le Corbusier(輝く都市)とコンテナハウス

そして「昔見た事のある懐かしい未来」

東北大震災という出来事は、日本国民にとって、あらゆる価値が転換、逆転、大変化、パラダイムシフト、色々な言葉が当てはまり、うろたえた年になった。まだその余波は消えない。多くの建築家にとっても「建築のあり方が問われた」年になった。日本国そのものも、ささやかれる言葉はすでに「再生」「やりなおし」「逆転」はなるのかと、国の価値そのもの、あるいは経済的な価値がすでに崩壊し、それがを再生出来るかが論点となっている。経済世界は「虚構経済」の世界的崩壊を叫び、「実質経済」の発達へ戻るべきだと語る学者が増えた。

世界システムの危機はとうに20年以上前から論じられていたにもかかわらず、高偏差値経済人たちはマネーゲームで経済を引っ張って来た。そりゃそうだろう。それが出来る人材がもてはやされ、MBAたちはそれを目指した。生産をしない実態のない経済が世界を支配し、生産するものたちから利益を吸い上げて行った。今までは企業も社会的になればなるほど、その輪の中に取り込まれていたのだ。なくなりはしないが、それで生きて行けるものたちは漸減して行くだろう。

なぜなら、「経済社会における民主化」が世界中から巻き起こって行くからだ。「生産するものたち」は気づき始めた。「アラブの春」はなかなか成功しないが、経済を操るものたちからはなれて「知恵と知識」で「生産者たちの春」を作り始める。

まあ、それとは関係なく、戦後造られた世界システムが、グローバル化の中で大きなひずみを持って成長して来たこの現代の状況は、あまりにも理不尽で、そんな中での戦いはもうこりごりだ。実体経済を支えながら文化を形成していける正しい創造活動をしていきたい。

かつて1930年頃、建築界の巨匠「ル・コルビュジェ」は「輝く都市」という構想を発表し、近代都市の今後のあり方を主張して来た。当時ヨーロッパではあまり受け入れられなかったが、その後世界各国でそのコンセプトをベースに都市や建築が作られて行った。成功したとは言わないが、実際には現代社会の都市の多くはそれをベースに進んでいる。デファクトスタンダードだ。日本でもアークヒルズや六本木ヒルズはその思想に感動したという森ビル社長が「都市開発のコンセプトの原点としている」と公言している。

コルビュジェ著「輝く都市(1930年)」のスケッチ

3.11以来私はその時代は終わったと考えている。多様性が求められ、都市部と同じ方法で地域や地方を形成する事は出来ないし、リージョナリズムが強化されて行くだろう。
そして早い転換が出来た時に日本は再生する。

「昔見た事のある懐かしい未来に今後は向かって行くべきだろう」という言葉は実は「姜尚中(カン・サンジュン)」東京大学大学院教授(政治学)の言葉である。単純に過去へ回帰して行くのではなく「懐かしい未来」という言葉の中には実は多くの深い意味を内包しているように聞こえる。独特の語り口、正確な表現、頭の良さを感動を持って感じさせるこの論客は、私に中のスティーブジョブスの存在のようにすべてを肯定する訳ではないが(別種の世界ですが)韓国人にもこんなすごい人がいるのかと(いや、韓国人の事よく知らないが)、いつもこの方の発言には耳目を広められる。

「昔見た事のある懐かしい未来」とは、経済的活動も「実体経済」を中心に動き、造るべきものを造り、その中から文化が形成され、余裕のある者(企業)が、社会的信念に基づき行うべき活動に経済的支援を行い、育つべき者(物)が育ち、交換価値から使用価値へと価値観が変わり、サスティナブルな経済活動の中で世界が構成されて行った時に現れる。世界経済はより一体化し、TPPも常識のある自然なバランスの中で受け入れ、その間の約束も、どこかが一人勝ちするためではなく、あるいは過保護するためでもなく、行うべき規制は、あるべき規制の中で行われ、ルールを守りまさに「サスティナブル」である事が評価の基準になって行くだろう。

建築もそうだ。建築材料、その使い方、その中で消費されて行くものと生成されて行くもの、生み出される文化そのバランスの中で「真のサスティナブル性」が社会的に収斂されて行く事になるだろう。その着地点に到達するには大きな社会的努力が求められるが、その努力が払われれば払われる程、収斂ポイントには早く到達する事になる。「勝ち組になるために」という思想ではなく、企業は「勝たねばならない」のだが、勝ち残る事が「サスティナブル社会」への道になるという「賢い選択」を「社会が出来るようになる事」だと考える。

ちょうど、インターネットが社会デビューしたとき、情報を自ら取捨選択し、情報を選び抜く自分自身のチカラを付けなければ生きて行けない時代に入ったと私は常々論じて来た。それに加えて「サスティナブル」という言葉に象徴される「成長のモノサシ」を持たねばこれからの未来はあり得ない。その行く先に「昔見た事のある懐かしい未来」が待っているように私には思えてならない。

写真はリートフェルト「シュレーダー邸」1924年(世界遺産指定)オランダ・ユトレヒト
※100年経ってもほころびないもの
求めるものがコンテナハウスの中にもあると信じている。

ユーゲントシュティールとコンテナハウス

ユーゲント・シュティールは、「構成と装飾の一致」(Einheit von Konstruktion und Dekoration)を理念とし、美や快楽と実用性を融合させることを主たる目的としていた芸術運動である。時は19世紀末頃の出来事だ。なかなか英語系にもない発音なので(まあドイツ語だもんね)覚えにくい芸術運動の名前だが、内容も含めて「幽玄としている(ゆうげんとしてーる)」と覚えると覚えやすい(爆)。

美術・工芸デザインに見られるユーゲントシュティールは、動植物や女性のシルエットなどをモチーフとし、柔らかい曲線美を特徴とする。 一方、やや幾何学的な模様を使用する傾向がある。ユーゲント・シュティールの建築は、簡潔で機能を重視した形体が重んじられる一方、一度限りの芸術性、唯一無二のデザインが尊重される。そのため、「装飾的部分」が残された建築となる。上の写真を見ると、皆さんもよく知っているアールヌーボーを彷彿とさせるイメージがある事を感じるでしょう。その通り、アールヌーボーへと繋がって行く芸術運動でもあるのです。この運動は様々な広がりを見せ、ドイツ工作連盟(オペーレーター系じゃないよ)、バウハウスなどへも繋がって行きます。

ドイツのダルムシュタットには、芸術家村が現存し、その保存状態は極めていいし、人が実際に住んでいる。私の心はここに置いてきたままだ。19世紀末から生きている訳ではないが、私が建築やデザインを学んでいる時代は「モダンデザイン」こそが現代社会を構成していく新たな枠組みとされ、私も何の疑いもなく「コルビュジェ」や「ミースファンデルローエ」そして現代に続くイタリアンモダンデザインなどを「かっこいいなあ」と思いながら学んでいた。モダンデザインが台頭して来た黎明期には「装飾は罪である」とアドルフ・ロースは語り、オットー・ワーグナーの「芸術は必要にのみ従う」という機能主義の主張を更に徹底させるコトバまで生まれた。

現実の私どもの設計活動は「コンテナ建築」を今は主にやっている。「装飾は罪である」の最右翼のような活動にしか見えないだろう。「建築はRockだぜ、固くて重いぜ、みたいな(爆)」。このストイックですらある箱と、ユーゲントシュティールの装飾性を組み合わせたらどんなにか素晴らしいものが出来るかと、いつもそのチャンスを狙っている。私どものデザインの結節点は「ユーゲントシュティール」なのだ。セミラティス構造の頭の中で回帰していく部分はユーゲントシュティールに始まり、ウィーン分離派、ゼツェッシオンへと繋がっていく。これらの活動から生まれてきた作品群をみると伝わってくるある種の共通感覚がある。

それは「権威建築」「王宮建築」などから解放された「芸術としての建築」であり、その中で表現されているものは「自由な表現の発露」である。すなわち「人間の証明」なのだ。もちろんその時代の束縛から自由になろうとした活動の結果ではあるが、そこで表現された表現内容の説得力の強さに心を打ち抜かれる。

ユーゲントシュティールは、ドイツのダルムシュタットという街から始まった。そして、その街には上記のように「芸術家村」というのが今でも保存され、実際に人も住み生活している。ドイツの比較的小規模な街である。この運動をさらに広め結実させ、昇華していったのが「オットーワグナー」だ。そしてまだそんな事では生温いと過激な言葉「装飾は罪である」を吐いたアドルフ・ロースという建築家がいる。彼の作品を見たまえ、コトバの語気から来る強さとは裏腹に「ちょうどいい装飾具合」だ(爆)。当時、それだけ装飾を排除した建築は「反逆的建築」だったのだ。もちろん民家の話ではないので誤解のないように・・・。

「コルビュジェ」や「ミースファンデルローエ」に対しても畏敬の念を持っているし、モダンデザインの世界で生きてきたけれど、忘れられない原点にユーゲントシュティール、オットーワグナーがいる。

そんな芸術家に私どももなりたい。

アカデミズムとコンテナハウス

若い修業時代に大阪の設計事務所に勤務していた。京阪電車で通っていた。地方都市から出て来た人間にさえ、何となく大きな都会のくせに、ホントーに内容は田舎臭いオオサカは馴染めませんでしたが(爆)、とりあえず何より驚いたのは電車の中に必ずと言っていい程(記憶が濃くなっているかもしれない)・・「独り言」をぶつぶつ話すおっさんやおばさんが乗っている事が驚きだった。当時は大学を卒業したばかりの若者なので、私自体も世間の事をまだ知らないという事もあったが、「オオサカは病んでいる」と思っていた。きっと都会がこの人をこんな風にしてしまったんや。都会の孤独がこうしてしまったんやとね。ところがずいぶんと世間の事を知ってくると、今はもうそうは思っていません。オオサカの人は元からそうなんや。そういう人たちなんや。と思っている(爆)。きっと一人ぼけ突っ込みでもしているんや(爆)。

建築士たちの集まりも面白くない(爆)。話題狭いし、融通効かないし、同業者の集まりの中に明日の日本の希望の光は見えない(爆)。学生達との話は面白いけど、なんでこんなに技術者って話題が少なくて、話べたで、頑固者が多く、固まった感じの人が多いのだろう。レオナルドダヴィンチを見たまえ(爆)。みんなあのような総合的芸術家になろうよ。「建築」そのものは面白い。「建築」の世界は、世界へ目を向けて様々な歴史的事実、歴史的変遷、時代の権力と建築の関係など考えたり研究したりすると、現代の建築はとても民主的な時代に入っている事が解るし、多様な思想や社会を反映しながら多様性に満ちた段階に入って来ている事がわかる。建築は技術の部分だけではなく進化しているのだ。もともと建築は「技術の総体」ではなく「技術を背景にした思想の総体」である事がここで解る。

紀元前1世紀頃のローマの建築家ポッリオ・ヴィトルヴィウスは、著書「建築論」のなかで腕を伸ばした人間は円と正方形の両方に正しく内接することを発見。レオナルド・ダ・ヴィンチは感銘を受けて左の図を描いたと言われています。紀元前1世紀にすでに建築家は存在していました。私たちは2000年あまりが過ぎた世界で何か新たな仕事が出来ているのでしょうか。

もちろん今でも、建築が消費社会の典型的な記号消費の例になっている事もある。例えば、中国の富裕層の方々は「西欧的」なものを建築の中に望んだりする事が多くあります。それはかつて日本もたどった道ですが「西欧的デザインコード」の中に「ステイタスモード」が含まれており、富裕層はそのコードを「消費」することによって自分がその中に入り込むという、なんとも中国国内にいながら社会主義的でない消費行動を目指す事があるのです。

これでは建築は本来の意味を発揮する事は出来ず、消費社会の中でただの消費物となっていくのです。崩壊しつつあるとも言われていますが、今中国バブルの中で好まれているという豪華マンションのデザインなどがまさにそれです。死語になりましたが「成金趣味」というコトバがまさにに端的に示す「記号消費」が建築の世界でも起こるのです。

一方で、長い年月の間に多くの建築界の優秀な先人があらゆる建築のフィジカルな面や、社会的な面を研究し、大きな幾層もの束になった「建築学」ともいうべきアカデミズムの巨塔を築いて来ました。日本の建築アカデミズムは基本的に「学究の世界」にしか存在しないように思います。つまり平たく言うと「大学」にしか存在しない。世間では建築は単なる「経済活動」でしかないからだ。しかし私が切に願うのはそのアカデミズムを守り通して欲しいのだ。

世間では「経済活動」にしかなり得ない「建築」も、その多くは「藝術と技術」「理論と感性」「社会性とプライベートの両領域の社会学」などに深く根ざした世界であるから、「大学」という場所でその醸成を行い、守り、後世に伝えその学位の価値を守らねば社会に出て行った建築を目指す者たちのその足元が揺らぎかねない。とりあえず若者も低レベル大学の「建築学科」に行かなくていいから、「学究の徒」の方々にはアカデミズムを守り続け進化させて欲しい。

個人的には、社会の中の一つの法人としての経済活動の中で(経済活動でしかあり得ないが)、ソーシャルビジネスとして建築を捉え始めたらどうだろうと考えている。「私どもが建築を造る事」と社会との関係を見据えながら、もう一度我々の立場を明確にして行きたいと考えている。

アカデミズムの世界で「コンテナハウス」のことを話したらどんな反応が帰ってくるのか試してみた。意外と某W大学(どこが某や・・・)の研究職の方々と話しても、わりに真面目に「コンテナの事」を聞いてくれる。でもさすがに「コンテナで建築基準法がクリア出来ますか、○×の部分は問題なのじゃないですか」とポイントは瞬間的に解ってくれる。それらをどうクリアしたかの話は興味深く聞いてくれるし、その苦労もすぐに推察してくれる。解る方には解るんや・・・・。

という所でまた続きはいつか・・・。

シドニー・オペラハウスとコンテナハウス

シドニーオペラハウスは、ヨーン・ウッツォンという建築家の設計によるものだが、極めて多くの「工業化手法」が用いられた建築物でもある。

工業化がアート的発想にとって何かを妨げるものではない事を示す好材料でもあるが、そんな事当たり前でもあるので話題にする必要もなかったかも知れない。ただ、何となく「職人的」あるいは「人為的」あるいは「情状的」あるいは逆に「恣意的」なものこそアート的だと思われていた時代もあったので、少し説明的になってしまったのだろう。ヨーン以後ではサー・ノーマンフォスター(英)が、工業化手法を使いながら(時には航空機製造技術を建築にまで)アートな建築を造り出して行っている。

つまり、工業化建築が「アート」としてのレベルに達する時、何が起こっているかと言う事を考えると、工業化のシステムを一つの「素材」として扱い、ある種システムの枠を超えてそれらが昇華された時にそのものがアート化するという状態になっているような感じを覚える。

コンテナハウスをそれなりにかっこ良く、「ほうこれは・・・」と思える状態に持って行く方法は概ね分かっているが、コストや構造の方法に限界はあるので、思ったままに計画する事はなかなか出来ない。概ね最近はコストの問題の方が大きいかも知れない。そうはいいながら、いい作品を目指して日々取り組んでいる。工業化建築としてのシステムを整えながら新たな作品が生まれる事を目指している。