Robots(ロボット_自律的連続自動作業機械)とコンテナハウス

一般的な概念は、人に近い形および機能を持つマシンのことで、『鉄人28号』『鉄腕アトム』や『機動戦士ガンダム』等のSF作品に登場するようなものが一番イメージに近いだろう。また、いわゆる「人造人間」や「機動兵器」(アイアンマン)等もその概念に入るものであろう。

絵に描いたようなロボット

HONDAがASIMOを発表してからもう何年も経つ。ポイントは完璧な2足歩行の自律機械と言う点だ。
でもなんで自動車メーカーが「ロボット」をと思われる方も多いかもしれない。実は「クルマ」は真の意味では「ロボット」という概念から少し外れるかもしれないが、歴史的には最も古く登場した「パワードスーツ」という概念に近い。「クルマ」の進化系が「パワードスーツ」で、それがよくわかるのが「ブルドーザー」や「パワーショベル」だ。解りやすい究極は映画エイリアンに登場しロドリースコットがエイリアンと戦う作業用パワードスーツは、ロボットに近いものだ。

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さて、では「パワードスーツ」の概念を広げていくと、エヴァンゲリオンのような超パワードスーツ系と、もっと初原的な「クルマ」もロボットの仲間である事が自然に理解できるようになる。4輪を転がす事で前進・後退・転回をこなし、人間が到達したい地域まで、その足りないパワーを補うための出力装置「エンジンまたはモーター」がついている。コントロールこそ人間が行うが、コントロールを行うためのデバイスが、「スピードメーター」「タコメーター」「ギア」「ブレーキ」「クラッチ」「ハンドル」などである。これは総称すれば「操縦装置」という事になる。

直近までの現代社会は「超安楽性」を求める経済活動の歴史という様相を呈していた。「超安楽性」のための開発が経済活動を活発化し、膨らませてきた。欧米のファンドはそれらに投資をし、アジアのメーカー(日本_爆)がそれに応え、欧米はそのキャピタルゲインで生きてきた(ちょっと乱暴だけどまあ事実)。地球環境は破壊され、ゴア副大統領の勇気ある活動でどうやら環境保護の概念が定着し、「地球大の環境的不安」に関して、人々は一定の理解を持ち、そして考え、行動する事が正しいと考える時代がやってきた。

ロボット技術がそんな時代になって、ようやく本格的に定着すべきところへ、あるいは、なるほどこんなところにという機能を持って使われ始めようとしている。かつて「鉄人28号」などが少年たちの「未来」を予感させるものだったが、それらはとうに「ロボット兵器」として姿を変えて実在している。コワイよ、カメラがついた確認用代替視野装置が付き、機銃を装備し、ミサイルを装備し、最後は「死」が怖くも何ともない兵器ロボットは自爆してまで相手を殺傷する。鉄人28号は正義の味方であったが、兵器ロボットは、使うものに従う別人28号である(爆)。

介護環境や自助的生活をヘルプする部分的パワードスーツのようなもの、体内に入り、がん細胞を撲滅するマイクロロボット、ロボット技術が展開すべき方向への利用が広まって来ている。あなたも、クルマを運転するとき、実はクルマが「パワードスーツ」に近いものである事を認識しながら、超人間的パワーを発揮するそのマシンの有用性についてもう一度考えてみると、大きく利用方向が広がって面白いかも知れない。

コンテナハウスはモービルハウスほど簡単に動かす事は出来ないが、それでも一般的な建築の枠を超え、ある日眠りから目覚めた巨神兵のように動き出す事が出来る。ロボット的建築として今後ある方向に向かうかもしれない。

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実際に作ってしまった「自律的水平保持型自動展開建築(爆)」自衛隊に納品した。非建築、ロボット未満(爆)
内部に自動展開用パワー部が見える。展開後床の中に自動格納される。
ビューロベリタスでは「建築確認は下ろせない」と言われた。そりゃそうだ。下ろしてくれるとも思ってないけどネタで聞いてみた。

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メカトロニクスと建築の融合という方向性もあながち否定は出来ないという思いつきについて考えてみました。

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そしていつしかこうなる(爆笑)。

描かれた世界のむこうにある私の真実_アンドリューワイエスとコンテナハウス

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淡々と同じテーマを描き続けたアメリカンリアリズムの巨頭アンドリューワイエス。

スーパーリアリズムのジャンルでもあるが、ポップな要素を持つスーパーリアリズムと少し線引きされる部分がある。それは奇をてらった部分は微塵もなく、さらりと描いて行くリアリズムというところだ。
ジャンル分けなどしてもそれは「鑑賞する側の都合」なので意味があるとは思えないが、「妙に引っ掛かる作家の一人」だ。

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あらゆる創作的活動には、描く世界の向こう側に「何かがある」事は明らかだ。創り出す世界の向こうに何かがある。それは建築も同じだ。それが何なのかは語ってもいいし、語らなくてもいい。

本人にとっては「自律的衝動」としか思えない「動かすチカラ」は、「生きるチカラ」に似て、自分ですらコントロールする事は出来ない。それが作品の向こうにある自分自身の真実なのかも知れない。

都市のなかの女性建築家とコンテナハウス

女流建築家

建築の設計と女性の生き方はマッチングがいい。女性に勧めたい職業の一つだ。建築的感性や美的感性、あるいは文学的特性に加え理系的特性に関しても特に女性には不向きであるという確証は何一つないどころか、かねてより書き続けているように「建築とは技術をベースにした文学である」と思う事と、やや自嘲も含め「建築家はオトコ芸者である」という特性も含めて、基本的に女性の生き方に支障をきたさない職業であると考える。

それに加え、女性の生き方の中で「子育て」というシーンに対しても「建築設計」はホームオフィスでの作業が成り立つ世界であることが、出生率低下の現代において、女性が社会の生産活動から、子育て時期もそれから離れる事無く続けて行ける方法があるという事実も大きな理由の一つだ。私も諸般の事情で「子育てしながら事務所経営をして来た」ので上記の話は証明済みである(爆)。

ポイントポイントで複数の人間で研鑽しながら設計内容を高め合う事も当然必要だが、日常的な作業系の時間は「ホームオフィス」で充分可能だ。むしろ時間を上手に使って効率も上がる可能性もある。「通勤時間」はいらない。設計データはインターネットで、サーバーに繋ぎ、ファイルを共有すれば協業作業だって可能だ。今どきは設計データは基本デジタルデータであるから、何も困らない。

実践テレワークに向かって

Wiki_pediaによると
テレワーク (Telework) あるいはテレコミューティング (Telecommuting) とは、勤労形態の一種で、情報通信機器等を活用し時間や場所の制約を受けずに、柔軟に働くことができる形態をいう。また、テレワークで働く人をテレワーカーと呼ぶ。テレワークという単語は日本での造語であるが、テレワークで指している労働形態は欧米にもある。特に米国は1970年代にテレワークが生まれた地でもあり、「テレワーク先進国」と言える。(引用文)
とある。

我が社はインターネットを介し、ご理解いただいた中で仕事の発注をいただく事が多いので、お客様は日本国全域にわたり、へたをすると海外への仕事も発生する。生産拠点は中国や韓国なのでもともとインタージャパンあるいはインターナショナルで仕事をする事になる。その事そのものは最初からその覚悟なのでいいのだが、「建築物」なので、建設地には必ず一定期間は行く事になる。スタッフは建築の専門家だが「職人」ではないので現場での設置指導やその他の仕事をする場合、現地のホテルや宿に泊まり仕事をするのだが、べったり現場にいる必要もなく、50%くらいのイメージだ。その間も他の物件の設計や企画の計画も練ったりしている。

つまり、他所で日常の仕事もこなさねばならないのだが、「テレワーク」という概念で、ホームオフィスで仕事をこなすのと同じく、普通にこなす事が出来る。顔を突き合わせていないと出来ない仕事がないとは言わないが、概ね実は我々の仕事はインターネットが繋がっていれば出来ない訳ではないのだ。ただ企画や設計の仕事をそのような出張先でこなしたいので、出来るだけ大きなモニターで仕事がしたいという事実はある。そこが「ノートで充分」と行かない所が持ち運び面で少々厳しい所だ。また、お客様もインターネットを通して発注なさる場合が多いので、日常の連絡はメールなどを多用する事になり、図面を見て頂く場合もメールで添付ファイルでお送りする事が多く、これはきわめて大きく時間を節約する事が出来るポイントにもなる。結果コストダウンの大きな成果を上げる事が出来る部分でもあるので、商品のコスト価値にも反映出来る事になる。

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世間はまだまだアナログな部分も多く、どこに(どんな場所に)会社があるのかなども会社の信用性に係る一つの項目だと思っている方も多いようだ。我々のような仕事で東京の一等地に事務所を構えるなどという事は「負担」にこそなれ、どれほどの意味があるだろうとも思う。それでも事務所に尋ねてこられる方も少なくはなく、比較的交通の便のいい所に事務所はある。話は、つまり当社は現実に「実践テレワーク」時代に入って来たという事です。「読み、書き、そろばん、インターネット、パソコン、英語」現代社会人の基本中の基本となってしまいました。

当社の仕事をして頂くにしても、勤務地はあなたの自由。でも時々現場監理にいってね(爆)。もうそうなっている。

モケイが語る疑似空間体験とコンテナハウス

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このブログにはたびたびモケイが登場する。そうなんです。たびたび作っているからです。設計者としては、建築の設計業も何十年とやっていれば、自分が引いた線と、出来上がるであろう空間のイメージは概ね創造出来る。それどころか、平面図の中に視線を落として、図面の中を歩いて行けば、アタマの中にはCGゲームばりに三次元空間が脳のスクリーンに映し出され、脳内3Dレンダリングが行われる。しかも動画で処理出来る程そのアナログチップのスループット速度はスパコンの「京」なみに早い。しかも空間に問題があればアラートが起動し、問題点を視野の中に投影する(爆)。

それでもなお、モケイは作る。ゆるりと確認出来る。誰もが確認出来る。素人(クライアント)が、設計段階で、その作業に確信を持って自然と参加出来る。3Dモケイには空間説得には充分なリアリティーと解りやすさがあるからだ。昨今の事情をいうならば、やがて、建築の世界にも実際に3Dプリンターを使う日も近づいている事だろうと感じる。CADで図面を引き、そのままそのデータを送れば3Dプリンターがいきなり立体モケイを作るとなどという日はもう数メーター先まで来ている(爆)。

本人も、担当者も作るが、さすがにここは学生バイト君たちの活躍シーンだ。普通の建築事務所と違ってここで作るモケイは必然的にコンテナモジュールの仕事が多いので20FEETの1/100縮尺のコンテナを大量に作らされたりする。コンテナ工場だ(爆)。

写真はコンテナ系ではないが、こうすれば素人にとっては「図面」を見せられるより、遥かに解りやすい。また室内にカメラ視点を持って行けばまるで室内にいるかのような疑似体験すら出来る。

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さらに精度の高いモケイを作り、豆球を使って照明も作り込むと、「照明効果」などのシミュレーションも出来る。

ある意味「コンセプチュアルアート」にも成りうる。あるいはプロセスアートの一つのジャンルでもある。身近なコンセプチュアルアートで、よく似た世界のものに「地図」がある。地球規模、あるいは宇宙規模にもなれるこのコンセプチュアルアートの歴史は長い。このアートには「スケール感」を含んだ概念が持ち込まれ、時空間とスケールのディメンジョンの中で私たちを楽しませてくれる。

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文学の中で「小説」などもある意味「疑似体験アート」の世界である。私どもが「建築は技術を背景にした文学だ」と言い続ける一つの検証例にも成りうるような気がする。

ティーチングとコーチング_そしてコンテナハウス

ウチの設計事務所としての趣旨は「ティーチング(教え)」ではなく、あなたの横でエールを送る伴走者としての「コーチング」だ。所員の能力を信じ、引き出し、クライアントを成功へ導くためのコーチングをするのが理想だ。ティーチングからは個性豊かなものが消えていくきらいがあると考えている。新たな知識で置き換えようとするからだ。そうではなく所員が元から持っているチカラを引き出し、それをプロフェッショナルのレベルへ持っていくには「コーチングメソッド」のほうが適していると考える。

あなたの頭にある「私の建築」その映像は大切にしたい。そのカタチはきっとあなたの個性を反映したプロトタイプだ。そのまま建築にすべてを反映させることはきっと不可能でしょうが、大事にすべきあなたの個性そのものだと考える。「建築をデザインをする」時、自分の頭の中に造り上げる建築のイメージを思い浮かべる。その時の頭の中の建築のイメージを「ファーストイメージ」と呼びましょう。あなたは、まだその思いを現実のものとしようと、動き出したところですから、知識や経験に欠け、明確な建築の内容までは出来ていないでしょう。しかし、今頭にあるあなたの建築イメージは、あなたそのものの個性を反映したものであることが多いのだ。巨大組織事務所ではなく少人数の精鋭建築事務所はその個性を大事にしたい。それが存在の価値だと思っている。

私はあなた方に多くの知識やエールを送り続けます。そうすると、あなたは次第に力を付けていきますが、新たな知識や知恵が付いていく度に、あなたが初めに持っていた個性とも言うべきファーストイメージが薄らいでいったり、消えていくことがあるのです。人は成長しますから、ある意味それはそれでいいという一面もあります。しかし、建築は人々に受け入れられる個性が大事な部分も大きいのです。そんな意味では初めに抱いたあなたの建築のイメージはあなたの個性そのものです。それを残しつつ、人々に受け入れられる建築の計画を進めていくのです。

あなたのイメージにある例えばその商業施設は一体どんな機能を求め、どんな利用者が訪れ、あなたはどのような空間を提供し、どのような運営者がその空間を運営しているのでしょう。そんな細かな所まではイメージできていないかも知れませんが、そのイメージの延長を想像していきなさい。私はあなたの中にある「建築」のイメージを取り出し、どこかの場所で、なにがしかのカタチを与え、あなたが描いた建築の竣工を迎え、その建築が繁栄をするための様々な事業戦略と空間戦術を考え出すお手伝いをしなければなりません。

まるで自分に言い聞かせるようなこのつぶやきは、所員に向かうものでもあり、クライアントに向かうものでもある。

たまたま、今のテーマは「コンテナ型ユニット」を使った建築に挑み続けているけれど、それが不適切なケースの場合、わたくしたちは自由だ。RCでも木造でも、鉄骨造でも、適正を考えて建築を創り出していく能力は普通に持っている。その時は最も最適化したソリューションをお届けします。

例えば人気の飲食店があったとしよう。そこの圧倒的人気メニューは「スズキのアクアパッツァ」で、圧倒的な美味しさを持っているとしたならば、きっとその店の「バーニァカウダ」も美味しい。一方で、他の店に入り「どのメニューがおすすめですか?」「どの料理が美味しいですか?」とたずねた時。「どの料理も美味しいですよ」と答える店の料理はどれもいまいちだ(爆)。

当社の自慢は「コンテナハウス」です。誰も近づけない日本最高峰の技術とデザイン力とシステムでお応えします。でもそれが不適切な場合、他の工法でも最高のソリューションをお出しします。その能力は普通に持っていなければ、コンテナ建築でもその能力は発揮出来ません。

あ、別の話になっちゃった。
私どもの事務所は「コーチングメソッド」によって個々の個性を大事にしながら全体のレベルアップを目指しています。

写真は当社のスタッフ作 「鯛と新鮮野菜のカルパッチョ」(爆)
料理も建築だ。

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わずか一小節の不協和音とコンテナハウス


音楽で例えれば、古字利島のコンテナハウスは「ROCK」だ。シンフォニーとして計画したプロジェクトもある。ポップな小品とした作品もあれば、演歌を歌っちゃった作品もある(爆)。

作品の中にはどうしてもクライアントの趣旨を理解出来ずに「ノイズ」が入ってしまうものがある。人と人とのコミュニケーションの中での事故とも言えるだろう。そのような部分が発生しないように出来るだけ先入観を持たずに人に接するようにしたいが、なかなかそれも難しい事だ。その不協和音が致命的なものでない限り、ある意味人間としてのお付き合いを正直に表しているようにも見える。考えてもご覧なさい、人と人との関係なんて「誤解の上に成り立っている」ようなものだ。誤解を恐れずに言うならば、だからこそ人間関係は比較的スムースに流れる部分もある。

オトコとオンナの間も似たようなものだ。生物として別種のイキモノなのだから、埋まらないミゾが存在する。オトコはああ考え、オンナはこう考える。その方向は一定ではなく個体差も存在する。生物学的な奇跡の営みの中でオトコとオンナは寄り添い又あるときは反目し棲息して行く。しかしながら、大きな流れの中では概ねともに歌いながら生きて行く。ありえないことが普通に流れて行く。

映画のフラッシュバックシーンのように建築の中に埋め込まれた「不協和音」は、実は「コミュニケーション芸術」的要素でもある。その不協和音があるからこそ他の「コード」が引き立ち、「モード」を形成し、その不協和音が結節点となって「ノード」を形成する。その時全体が一つの意思を持った空間となり人の心に響く。これが空間の成り立ちだ。

写真は「練習中の第一楽章」_タウンハウスの習作

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趣味人ではなくプロとしてのコンテナハウス

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プロとしてコンテナハウスを供給して行くという事は「業としている」という事であり、コンプライアンスを初め、社会的責任を全うしながらモノを造るという事である。その事はなかなか難しいのであるが、それをこなさねばならない。趣味としてやれるレベルではない。マクロでは海の向こうとのロジスティクスを考え、ミクロではmm単位で構造体を把握し、その総合体としての空間を造り上げる。

コンテナで「ホテル」を造ったり、「寄宿舎」を造ったり人の考えなかった事に挑戦して参りましたが、今までノウハウだけ提供し挙げ句の果てはそれを盗まれて「ホテル」を勝手に造られたり、世の中なかなか火事場泥棒のような方もおられて肝を冷やしたりといろいろ経験させられております(汗)。世には本当にそういう事をして気にならない方もおられるという事実の方に驚いてしまいます。ちなみにK開発という会社です(爆)。

そんな中、新たな取り組みがだいたい纏まってきた。少なくともこれはまだ誰もやっていない。コンテナハウスによる「タウンハウス計画」だ。この計画とモジュールのマッチングは抜群だが、そのディティールは難題の連続だ。しかしそれを乗り越えて行く。いや、当然だが建築家達はそれが楽しくて生きている。

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面白い取り組みも忘れない。
アーティスティックな建築も作る。

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中国旅順の映画村(関東民俗文化村)とコンテナハウス

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中国は大連から小一時間で「旅順」に行ける。日本にもなじみの深い町だ。そこに「映画村」がある。ある仕事でこの映画村の経営者とお知り合いになった。どうしても案内したいというので見せて頂いた。思いの外なかなかのスケールで、昭和初期の中国の様子を再現した映画村で実際にそのような時代の映画やテレビドラマなどの撮影場所として使われ、観光用にも有料で入場出来る。

この映画村のアートディレクターも同行していただいたので逐一説明していただけた。運営する組織が中国文化の研究もしているような組織なので、この経営者も文化的な歴史や政治史にもお詳しく、かつての日本との関係なども話してくれた。歴史考証や建築物のチェックなどもちゃんとなさっているらしく、なかなか古めかしくしかもちゃんとしている。

中国の典型的民家である「四合院」的な民家も再現してあった。建築の勉強しているあなたも聞いた事あるでしょう。

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この映画村に「撮影クルー」を引き連れて「撮影隊」や「タレント」がしばしばやってくるらしい。しかしながら「適当な宿泊施設」が近くにないらしい。なかなか時間的に予定通り動かない「撮影」では、宿泊施設が近くに欲しいという。

そこでこの経営者は近くの使える土地に「コンテナハウス」のホテルを作って欲しいという。

モジュール分割とレッドブルのコンテナハウス

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コンテナハウスの根底をなすシステムはその「モジュール」としての概念だ。世界標準を準備した背景は「チェーンロジスティクス」という目標だった。「チェーン」はそのまま鎖のように繋がって、「切れる事なく運んで行けるシステム」という事だ。事実それは世界中に広がり、地球上をくまなく運ぶ「チェーンロジスティクス」が確立された。世界標準がこれまで広がった例があるだろうか。

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このチェーンロジスティクスを実現する為に必ず守らねばならない事はその「モジュールサイズ」だ。このモジュールと緊結方法の標準を守っていれば「船積み運賃」さえ破格にローコストだ。バラ積み船などに比べれば、決まったサイズの箱状だから沢山効率的に積める。皆が利用するから、定期船も多い、いい事尽くめで輸送費は下がる。ちなみにこのコンテナをバラ積み船に積めばヘタをすると10倍程度の輸送費になる。

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さて、写真のコンテナは「REDBULL」様にご発注いただいた「DJ_booth」のためのコンテナだ。ブース自体は20FEETのサイズも要らないほどの小さなサイズ。当社ではどのようなサイズのものでも製作は可能だ。それゆえご要望通りのサイズで製作したが、2Mほど20FEETコンテナにはサイズが足りない。このまま運ぶと20FEETコンテナを運ぶよりももっと輸送費がかかってしまうという、モジュールシステムならではのパラドックスが発生する。

設置する場所の特性に合わせて、残りのサイズで「階段」を作り、「連結して20FEET」にし、20FEETコンテナとして輸送を行った。設置現場で分解し、上部の写真のように「本体」と「階段」としてそれぞれ設置し、無駄もなく、輸送費も20FEETコンテナそのままで実現した。

高偏差値読者の中にはこれで「ピン」とひらめくものがあるでしょう。そう「40FEETコンテナ」にもその考え方は適用出来る。「30FEET+10FEETコンテナ」などの組み合わせを考えれば、ある意味「モジュールサイズからの呪縛」を解く事も出来るのだ。これが一つの「コンタクトデザイン」。あらゆる手法がそろってきた現代コンテナ建築研究所のコンテナハウス。自由度においても私どもを縛るものはない。モジュールという世界が生み出す利点のみを拡大させ、あらゆる建築を自由に造り出して行きたい。

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新たなコンセプトでコンテナハウス

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コンセプト的にはもう数年前から考え始めていた方向性だが、実現出来る案件が出始めた。それはまだ秘密だけど(爆笑)。
すでに書いてるし、その習作過程を少し模型で紹介。
NEXT_HIT作の予感がする。(爆笑)