豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)とコンテナハウス&パン

日本は、自然風土に恵まれた美しい国です。春・夏・秋・冬、四季折々の恵みは、私たち日本人の生活に潤いと豊かさをもたらしてくれます。自然の恩恵に深くあずかってきた日本人は、自然のなかにあらゆる生命を育み、豊饒(ほうじょう)や繁栄をもたらす生成力を認めてきました。さまざまな自然現象に、神々の恵みと働きを感じとってきた日本人は、自然と調和した生活を理想とし、自然と触れ合うことによって、絶えずその生命を瑞々しいものにしてきました。

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こうした自然観のもとで、日本人は、人間は生まれながらにして清らかなものであり、穏やかで澄み渡った心を持つものと考えてきました。そして、神社で神々をお祀りし、信仰する上で常に清浄さを大切にしてきました。神道の信仰は、人びとの生活の中で育まれてきましたが、日本人の生活基盤であった稲作農業との関わりの中で、その形式が整えられ、体系化されてきました。

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稲米は、皇室の御祖神(みおやがみ)である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が私たちの祖先に授けられたものと、日本の神話は伝えています。日本の古名を豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)といい、稲穂が豊かに実る国と称えてきました。稲米は、日本の国柄そのものを象徴するとともに、私たち日本人にとって稲作は、神々から授けられた神聖な営みでもありました。

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そのように自然豊かな日本国なのですが、私は四季はこの緯度のおかげ、世界のどこに行ってもこの緯度なら四季が存在し・・・。と思っていたのです。しかし日本と同じ緯度で地球をチェックすると実は砂漠地帯が多く、このように実際に植物(木々)の種類も多く、緑に囲まれる環境を持った四季のある地域(日本)は実は非常に希有な地域なのだそうだ。(出典:NHKの番組)実際グーグルを見てみた。

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ほら、本当だ。アフガニスタンやイラク、チベットなど名だたる砂漠地帯だ。NHKによると、海流や気流や周りの海の環境が生み出した奇跡の環境らしい。

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実はコンテナハウスは海外からのオファーも多い。概ね「砂漠地帯」(爆)だ。石油や鉱石、天然ガスなどを採掘する場所での「アコモデーション(居住区)の為の施設としてオファーがやってくる。オーストラリアなども多いのだ。オーストラリアに限っては実はそのようなユニットを製造している専門の会社があり、なかなかの供給元になっている。

我々はそれらのアコモデーション(作業員宿舎)に特化した事業をやっている訳ではないので、少々腰が引けるが、東北の震災以降その復興の為の作業員宿舎としてのオファーも多い。これに関しては出来るだけ協力をしたいが、コンテナハウスのなんちゃって業者もそれを狙ってずいぶん増えたらしく、金額の戦いになったりする。当社はコンプライアンスを守る事を社是としているので、これらの業者さんの価格帯にはなかなか落ちて行けなくて仕事を獲得する事はあまり無い。建築を真摯に勉強してきたものとしてはある一線を切って降りて行けない場所がある。建築基準法が万能な法だとは思わないが、我らが「豊葦原瑞穂国」(日本の美称だ)は法治国家だ。法によって秩序を生み出す民主国家において法を無視した活動は企業活動として行う事は出来ない。法を守るという事は国民の安心安全を確保し、財産を守れる建築物を作る為に建築基準法が存在する。その事を積極的な意味を持って守ろうとすると落ちて行けない場所は存在するのだ。

そんなわけで、美しい国日本に生活する国民は、コメ好き日本人が生成されたわけですが(爆)、実はパンも美味しい事を知って欲しい(爆、そっちに行くのか~)。日本のパン文化は主食がコメであったために「おやつ」的な「菓子パン」の文化に走ってしまいました。木村屋のアンパンを筆頭にクリームパンジャムパンといった具合です。給食でコッペパンが配られ、コッペパンのヴァリエーションとして焼きそばパンだの、コロッケパンだの、総菜パンという特殊な発展の方向へも繋がりました。でもまあこれはサンドィッチの日本版でもあるわけです。ただし、なかなかまだ貧しい戦後の食料事情を反映して作られた総菜パンなので、今思えばコッペパンと焼きそば?コロッケとパン?って不思議な炭水化物組み合わせになっています。なぜか巷では、この組み合わせはコッペパンの黄金組み合わせという事で未だにパン屋では人気の商品です。多分美味しいからではなく、懐古趣味系の刷り込み組み合わせだろうと私は思っています。

私がお勧めしたいのは、本格的な欧州系のパンです。パンドカンパーニュやバゲット、リュスティックやライブレッドなんです。ワインがかなり定着した昨今では、ワインを飲みながらの食事も増えてきました。そんなときは「パン」でしょう。ワインとパンとチーズ。この黄金トリオは私に言わせれば「黄金の発酵食品トリオ」と呼んでいます。ワインのある食卓にご飯というわけにはいかないでしょう。

当社のコンテナハウスは世界的な基準にも負けない内容を持ち、世界からのオファーもやってきます。東北の復興にも役立ちたい。美しい日本の情景にもマッチしたデザインで作り続けて行きます。

“La Ville radieuse”Le Corbusier(輝く都市)とコンテナハウス

そして、昔見た事のある懐かしい未来

東北大震災という出来事は、日本国民にとって、あらゆる価値が転換、逆転、大変化、パラダイムシフト、色々な言葉が当てはまり、うろたえた年になった。まだその余波は消えない。多くの建築家にとっても「建築のあり方が問われた」年になった。日本国そのものも、ささやかれる言葉はすでに「再生」「やりなおし」「逆転」はなるのかと、国の価値そのもの、あるいは経済的な価値がすでに崩壊し、それがを再生出来るかが論点となっている。経済世界は「虚構経済」の世界的崩壊を叫び、「実質経済」の発達へ戻るべきだと語る学者が増えた。

世界システムの危機はとうに20年以上前から論じられていたにもかかわらず、高偏差値経済人たちはマネーゲームで経済を引っ張って来た。そりゃそうだろう。それが出来る人材がもてはやされ、MBAたちはそれを目指した。生産をしない実態のない経済が世界を支配し、生産するものたちから利益を吸い上げて行った。今までは企業も社会的になればなるほど、その輪の中に取り込まれていたのだ。なくなりはしないが、それで生きて行けるものたちは漸減して行くだろう。

なぜなら、「経済社会における民主化」が世界中から巻き起こって行くからだ。「生産するものたち」は気づき始めた。「アラブの春」はなかなか成功しないが、経済を操るものたちからはなれて「知恵と知識」で「生産者たちの春」を作り始める。私は、資本主義容認者で社会主義者ではないし、対立して来たがそれは当然人生の中では対峙すべき好敵手「父」だからだったが、銀行家の息子だ。

まあ、それとは関係なく、戦後造られた世界システムが、グローバル化の中で大きなひずみを持って成長して来たこの現代の状況は、あまりにも理不尽で、そんな中での戦いはもうこりごりだ。実体経済を支えながら文化を形成していける正しい創造活動をしていきたい。

かつて1930年頃、建築界の巨匠「ル・コルビュジェ」は「輝く都市」という構想を発表し、近代都市の今後のあり方を主張して来た。当時ヨーロッパではあまり受け入れられなかったが、その後世界各国でそのコンセプトをベースに都市や建築が作られて行った。成功したとは言わないが、実際には現代社会の都市の多くはそれをベースに進んでいる。デファクトスタンダードだ。日本でもアークヒルズや六本木ヒルズはその思想に感動したという森ビル社長が「都市開発のコンセプトの原点としている」と公言している。

コルビュジェ著「輝く都市(1930年)」のスケッチ

3.11以来私はその時代は終わったと考えている。多様性が求められ、都市部と同じ方法で地域や地方を形成する事は出来ないし、リージョナリズムが強化されて行くだろう。
そして早い転換が出来た時に日本は再生する。

「昔見た事のある懐かしい未来に今後は向かって行くべきだろう」という言葉は実は「姜尚中(カン・サンジュン)」東京大学大学院教授(政治学)の言葉である。単純に過去へ回帰して行くのではなく「懐かしい未来」という言葉の中には実は多くの深い意味を内包しているように聞こえる。独特の語り口、正確な表現、頭の良さを感動を持って感じさせるこの論客は、私に中のスティーブジョブスの存在のようにすべてを肯定する訳ではないが(別種の世界ですが)韓国人にもこんなすごい人がいるのかと(いや、韓国人の事よく知らないが)、いつもこの方の発言には耳目を広められる。

「昔見た事のある懐かしい未来」とは、経済的活動も「実体経済」を中心に動き、造るべきものを造り、その中から文化が形成され、余裕のある者(企業)が、社会的信念に基づき行うべき活動に経済的支援を行い、育つべき者(物)が育ち、交換価値から使用価値へと価値観が変わり、サスティナブルな経済活動の中で世界が構成されて行った時に現れる。世界経済はより一体化し、TPPも常識のある自然なバランスの中で受け入れ、その間の約束も、どこかが一人勝ちするためではなく、あるいは過保護するためでもなく、行うべき規制は、あるべき規制の中で行われ、ルールを守りまさに「サスティナブル」である事が評価の基準になって行くだろう。

建築もそうだ。建築材料、その使い方、その中で消費されて行くものと生成されて行くもの、生み出される文化そのバランスの中で「真のサスティナブル性」が社会的に収斂されて行く事になるだろう。その着地点に到達するには大きな社会的努力が求められるが、その努力が払われれば払われる程、収斂ポイントには早く到達する事になる。「勝ち組になるために」という思想ではなく、企業は「勝たねばならない」のだが、勝ち残る事が「サスティナブル社会」への道になるという「賢い選択」を「社会が出来るようになる事」だと考える。

ちょうど、インターネットが社会デビューしたとき、情報を自ら取捨選択し、情報を選び抜く自分自身のチカラを付けなければ生きて行けない時代に入ったと私は常々論じて来た。それに加えて「サスティナブル」という言葉に象徴される「成長のモノサシ」を持たねばこれからの未来はあり得ない。その行く先に「昔見た事のある懐かしい未来」が待っているように私には思えてならない。

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写真はリートフェルト「シュレーダー邸」1924年(世界遺産指定)オランダ・ユトレヒト
※100年経ってもほころびないもの
求めるものがコンテナハウスの中にもあると信じている。

「ビーグル号航海記」とコンテナハウス

ガラパゴスを訪れた「ダーウィン」が記した、ガラパゴスの生物の記録が「ビーグル号航海記」である。生物の種について深い考察をしたダーウィンはその後「進化論」を発表する事になる。独自の進化を遂げたガラパゴスの島々の生物たちの観察によって。生物の種とは当時信じられていたように不変な物ではなく、変化しうるのではないかと考えるようになった。

概ね進化論は正しかったが、その後の研究では「進化」のきっかけは現在は「突然変異」が大きなトリガーとなっていると考えた方が自然ではないか?という事実は多くの研究者が認めている。つまり高い木の葉も食べられるようにジラフの首が少しずつ長くなったという考え方は難しく、突然変異によって長い首のジラフが生まれ、突然変異はDNAに組み込まれるため、子は首の長い、背の高い木の葉でも、補食するのに適した長い首のジラフが生まれ、生き残り、やがてジラフはその遺伝子を持つ子孫が繁栄し、首が長いジラフしかいなくなったという考え方だ。これはジラフで進化中の首が中くらいのジラフの化石や白骨化死体などが見つからない事によって自然と語られ始めた。

孤独な島「ガラパゴス」では、島の中だけで固有の進化をしたものだから、独自の進化を遂げ特有の種が多く存在するという結果にたどり着いたのだが、長い間、それらの種以外の生物にさらされないものだから、海を越えて「新たな種」がやって来たりする事が実はコワイ事件に繋がったりすることがあるらしい。

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まるで遭遇した事もない「種」がもし天敵的な脅威を持っていた時には、あっという間に「絶滅の危機」に立たされるというのだ。確かにそれは解るような気がする。「よゐこ」ばかりの都会の「私立小学校」に、九州の炭坑町から「洟垂れの空手得意な乱暴やさぐれガキ」。が間違えて転入試験を突破し、編入して来たら「よゐこ」達はひとたまりもない。いや、私立小学校がガラパゴスと言っているのではないが、やさぐれガキに絶滅の危機に立たされるのは間違いない。

「独自の、独特の文化の中で、高度な成長を遂げた」というと、何かピンと来るものがありませんか?そうです。日本国です。
これは「生物」の話ではありません。日本と書いて「ガラパゴス」と読んでもいいのです(爆)。日本企業の技術やサービスが、日本市場の中だけで高度に発展してしまう様子を言っている訳です。技術やサービスが特殊化しその結果、日本企業の海外進出が難しくなるばかりか、日本市場の危機も招いてしまう。
おまけに日本国は小学生から英語を教えているのに、こんなに英語が上達しない国民も少ないのかも知れない。それはある学者によれば「日本語の文法」が大きく邪魔をしているという話も聞いた事があるが定かではない。それらの障壁もあいまってさらにガラパゴス化が進む。

i-phoneの衝撃。そらやって来た「天敵的外来種」だ。黒船だー!。i-phoneは適切な例ではなかったかも知れない。ホンモノの天才スティ-ブンジョブスが相手じゃかなわない。IBM互換機ばかりの時代になっても、Macだけは生き残っている。その生命力にスティーブンジョブスの天才を感じないなんて、やっぱあなたは盗人ゲイツのマシンでも使ってなさい。
あ、話がそれてしまいました。そんな事は既に過去にもあったよ。NECの「独自規格」がIBM互換機にやぶれ独自規格を撤廃した。それまではPC-9800の独壇場だったけどね。世界に通用するものを造って行こうよ。さて、ガラパゴス日本の「独自進化技術」たちの中には、世界に通用する技術は多く存在する。概ねガラパゴス的なものとはそれらの技術を使った「サービス」がガラパゴス進化をしているのだ。

華僑的人生絶賛論 (日本が生き残るために)

華僑(かきょう)は、中華人民共和国の中国共産党政府の定義によると、「中国大陸・台湾・香港・マカオ以外の国家・地域に移住しながらも、中国の国籍を持つ漢民族」を指す呼称である。外国籍取得者の華人に対しても使用されることがある。中国を愛し、中国の家族も大切にしながら、国際的に活躍するある意味インターナショナルピーポーである。

世界に張り巡らせられたロジスティクス網、「コンテナのロジスティクス網」はガラパゴスシステムではなく、ワールドワイドシステムだ。建築がその特質を得る事が出来たら、ガラパゴス進化ではなく「ワールドワイド進化」をする事が可能だ。

コンテナハウスは今、世界中で動き出している。ロスアンジェルスの仕事が始まる。

コンテナハウスとモシェ・サフディ

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モシェ・サフディーという建築家がいる。読者達は上記の写真で見知っているかも知れない。シンガポールにあるビルだが、彼はルイス・カーンの弟子でもあり、ベースの活躍地はカナダだ。

最近作風がずいぶんと変わりシンガポールの上記の作品は「モシェ・サフディー」とは気づかなかった。なかなかどうも思いつかない画期的なビルであります。

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ずいぶん昔の事だが、ティピカルな彼の作品は下の写真で、メガストラクチャーの中にユニットが差し込まれたモントリオールの集合住宅がひとつの代表作でもあった。概念的には、最近書いた「ロバート・クロネンバーグの動く家」の実現版のようにも見える。クロネンバーグの場合は45度に傾斜したメガストラクチャーが全体を支え、その成長が無限である事を示唆する概念設計であったが、それを実現化するとこのようになるのかと思わせる実施作だ。

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RCで作られたユニットを「コンテナ」に置き換えれば、コンテナハウスのムーバブルハウスになる。写真からはすぐさまには解らないが、このユニット達は「メガストラクチャー」の上に乗ったり、吊り下げられたりしている。

わたくしどもが、コンテナハウスを開発して行く上でひとつのあり方としている作品だ。

コンテハウスと幾千のプラン集

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描いてきたプランはファイル数を数えても3000プランを下らない。「平面図・立面図・断面図」基本の図面だ。わたくしどもはそのプランを描いて行くとき、平面図の中にも、立面図の中にも、断面図の中にも人の姿を想いながらプランを進めて行く。

実は大きな悩みがあった。コンテナの横幅は外形寸法で「2438mm」。内法で「2150mm」程度だ。この寸法がヒューマンスケールという考えの元では少々寸足らずだ。それゆえ幾千ものプランを研究して来た。我々のコンテナは連結のシステムと拡張システムでそれに対応してきた。いわゆるサブシステムの開発だ。

「ユニット工法に自由度を」という考え方は、特に珍しい話でもないし、モジュラーハウジングというコトバの本当の意味はこの自由度を規則性のあるシステムの中に構築しようとしてきたものだ。西欧ではル・コルビュジェがモジュロールを唱え、日本にも古くから「木割り」という考え方が存在した。日本人の中では「畳のユニットサイズ」が古くから染み付いている。「立って半畳寝て一畳」。 あ、もう畳のない家も多くなりましたが、まだ日本人ならその寸法感覚は分かるでしょう。

工業化建築をアーティスティックなレベルに持って行くのが我々の目標です。

鉄とコンテナハウス

鉄への想い、現代建築素材、3つの原風景

水銀

幼少の頃、毎夏、父に連れられて夏休みの最初の週末は「海水浴」にいく慣習があった。海のそばに済んでいる訳ではなかったので、楽しみなイベントであった事を覚えている。バスや電車を乗り継ぎ、いつも決まった遠浅の海に連れて行ってくれた。海にアプローチする最後の交通手段は「私鉄電車」であった。日頃電車に乗る事はない年齢の頃なので「乗りもの」そのものが非日常であり、オトコを目指す少年には電車という「乗り物」も格好の興味対象であった。運転席の横の最先頭の窓の所に陣取り、進行方向と運転手の一挙手一投足を見つめる。なぜ「レール」の上を走る乗り物が出来たのか、その意味すら解らない年齢の少年は前方のレールを見つめる。そのレールの先には「海」が現れるはず。次第に景色が変化し、松の防風林などが現れ始めると海が近い事を既に学習していた。

レールは太陽の方向によっては「水銀を流した」ように輝き、車輪が走る面は光沢に満ちているのに、側面は錆色だ。そのコントラストは同じ「鉄」とは思えない。進行方向、見つめる先は「未来」だ。そして車内は「現在」。通り過ぎた景色は「過去」だ。なんだか本当にそんな風に思える。未来に向かって走る電車。この時輝いていたレールは「鉄」によって出来ている。レールをじっと見ると、そのソリッド感がたまらない。間違いなく「人工物」、しかも英知が生み出した人工物。30トンもの車両を支えるレールは、ソリッド感があるとはいえ、無駄な肉をそぎ落とした見事な形だ。

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鉄の事を考えたのはその時が初めてだろう。鉄道の本を読む。レールは時代とともに長くなり、ガタゴトいうその音の原因は「温度による膨張と収縮」を飲み込むための「隙間」を渡るときの音。現代では枕木に強烈なチカラでレールが固定してあり、その収縮さえ押さえ込んで「隙間」をなくし振動を抑えている。人知は発展し、様々な知恵をつけて行く。私の興味はしかし、電車にはいかず、レールという「鉄」に収斂して行った。

コンクリート

小生は「炭坑町」の生まれだ。竹を割った様な性格のさばさばした人間が多い、自ずとその性格は「短気」とも直結する。優しくて強くて押しが強くないと生きて行けない世界だ。その「炭坑町」は全国の炭坑町と同じく、新エネルギーの登場で衰退期であった。
街のそこここに「廃屋」がある。少年たちにとっては、イコール「遊び場」である。悪ガキたちと病院の廃屋でかくれんぼをしていた時だ。中庭に「井戸」があった。もう内部は土が入れられ廃井戸となっているから決して深い訳ではない。その中に隠れ、横たわり空を見上げると井戸の中から見上げた空は、井戸のまあるいコンクリートの縁に切り取られたまあるい空が見えた。コンクリートにきれいに丸く切り取られた空が奇麗だった。「空を切り取るコンクリート」。「コンクリート」を初めて意識した日だ。

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ガラス

私が幼少の頃といえども、「ガラス製品」は普通に存在した。ガラスの器、ガラスコップ、窓ガラス。特段珍しい訳でもなく、いや、むしろ手の込んだ「切子のグラス」なども普通に存在した。工芸の世界である。昭和の30年代の事だ。まだテレビが普及し始めようとしていた頃だろう。家のテレビを見に、近所の子がやって来ていたりしていた事も覚えている。そのテレビのニュースを見ていた時、海外のニュースを伝えるコーナーでフィリップジョンソンの「ガラスの家」が紹介された。実際の建設年からすると数年経っての紹介だ。だんだん噂になってからの紹介だったのだろう。
フィリップジョンソンという建築家の作品とその時伝えたかどうかは記憶にないが、その映像を明確に覚えているのでミースファンデルローエの「ガラスの家」ではなく、フィリップジョンソンのものだとわかる。その事実は今となって分かる話だが、そのときの衝撃は「ガラスで家を造れるのか」という驚きだった。家の中を動く人の姿もニュースの中では見え、当時「未来感覚」を感じた事を覚えている。衝撃的に「ガラス」を初めて意識した日だ。

ただ、気の利いた日本人なら、こんな建築、昔から日本にはあるじゃん。という事を思うかも知れない。木造軸組工法(日本の伝統的木造工法)のビジュアルには近く、ブルーノタウトが海外に紹介し、多くの海外の建築家に影響を与えた桂離宮なども同じジャンルに見えるかも知れない。障子の部分がガラスになっただけじゃん。って。しかし、構造の方式は大きく違う。

ガラスの家
ミース・ファンデルローエ(ガラスの家)

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フィリップ・ジョンソン(ガラスの家)

※余談 ミースとフィリップ・ジョンソンのガラスの家の大きな違いは、ミースのそれは「宙に浮き」フィリップ・ジョンソンのものは大地にどっしりと根ざしている。重力からの解放を狙ったミースと、大地の上の空間を切り取ったフィリップ・ジョンソンの思想は大きく違う。しかし彼らはよく仕事を共にしている。ミースは根っからの大建築家、フィリップ・ジョンソンは哲学者からの変異建築家。「技術的技量」と「美意識」の総合力はミースという一般的認識は、両作品を見るとわりと明確か・・・・。

「鉄」「コンクリート」「ガラス」。それらは人工物でありながら現代生活ではしっかりと根付き、まるで自然素材のように存在している。この三つは言うまでもなく「現在建築の三大素材」である。現代でもなおこの建築3大素材に加われるものはない。あとは性能を上回る特殊代替品や、その特性をさらに拡大させた改良品が多い。人が作り出した素材ではあるが、すべて元は自然のもの、人為的な化学的成分などは入っておらずその部分でも長く使われる素材としての要素を持っているのかも知れない。

鉄は日本の高度成長期を見守りながら成長して来た。他の要素も同じであるが、様々な利用方法は、その多様な形を「整形」出来るからこそ生まれた世界がある。そして「溶接」という「結合方法」から生まれる世界もより多層的な世界を生み出した。コンテナハウスも鉄骨造である。溶接の技術は極めて重要な要素である。コンテナハウスに興味を持つあなた。もしも本気で考えるなら、頼もうとしている会社に「溶接について語ってもらえないでしょうか?」と聞いてみてください。溶接について楽しげに語ってもらえる会社に依頼するのがいいかも知れません。

コンテナハウスとシニフィアン_シニフィエ

モノゴトを解析するチカラをさずけよう

当社のコンテナは中国で作っていただいているので、コンテナ用のドアや壁材やパーツは揃っている。日本の建築基準法にのっとってデザインしているので建築基準法はクリア出来るし、コンテナっぽくない外観にも、コンテナらしい外観にもデザインする事が出来る。

商業空間を造りたい時のお客様の要望の中では、当社への依頼は「コンテナっぽいデザイン」を好まれる事が多い。それには理由がある事はわかっている。「コンテナ」というモノが持っている「ウラに張り付いたイメージ」が大切だからだ。しかし、何か事業を始めようという方々も「よし海洋輸送用コンテナを使おう!」という事で、色々調べるのですが、調べれば調べるほど、ISO海洋輸送用コンテナが「建築」として認められない時代になっている事が解って来る。そこで、結局、法規をクリア出来る当社の建築用コンテナにたどり着く事になるのだ。

ときに、「物事に秘められたウラに張り付いたイメージ」の事をフランス語で「シニフィエ」という。そして見えているビジュアルそのものの事を「シニフィアン」という。商業施設やデザイン性が求められる世界ではこの事象の事をよく理解しておく必要がある。「シニフィアン」と「シニフィエ」。「意味作用」と「意味内容」と訳されたりする。ソシュールというフランスの哲学者によって定義された言語学用語である。

面倒な話だねえ。コンテナに話を戻そう。コンテナのシニフィアンは

この写真そのもの。まさにコンテナ。です。しかしコンテナの「シニフィエ」は色々なものに広がって行くのです。
ワイン好きの方には「リーファーコンテナ」で届けられる香しきワインを想像させ、アパレル系の方は「中国の縫製所」から届いた商品を彷彿とさせ、IT系のコンピュータメーカの方は、やっと届いたかという「東南アジアからのボードの山」を思い浮かべたりします。つまり、コンテナにまつわるいろいろなストーリーがそこには絡み付いているということになります。
この「シニフィエ」がまさに「ビジネスイメージ」に直結して行くのが「空間デザイン」と「ビジネス」の関係なのです。

何かのショールームに「コンテナがふさわしい」としましょう。それはなぜでしょう。「輸入のイメージ」があるからかもしれません。「ちょっとやさぐれた感じのガレージイメージ」に繋がるからかも知れません。少し危ない感じの港の雰囲気とその商品のコードが一致するからかも知れません。ともあれ、そのようなイメージの集積率が高い時「雰囲気あってんじゃん」という事になるのです。

さて、当社のコンテナをどんなイベントに使いましょう。イベントに使い全国12箇所ほど回って、充分な告知結果をだした後、それでコンテナは御用済みですか?そんな事をしてはいけません。このコンテナを積み上げ、繋ぎ合わせ「建築物」にする事が出来ます。たとえば、壁を全部とっても構造的に成り立ちます。そんな素材今まであったでしょうか?(反語)しかもリーガルチェックはスムース。コンプライアンス完全対応でカッコいい、コンテナショールームが出来るのです。

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色々な世界に使える道具(シニフィアン・シニフィエ)

シニフィアンとシニフィエを覚えました。このモノサシは商業施設計画の中では強力な武器です。頭の整理にとても使えます。会社の中で、事業戦略のコンセプターを務めるあなたには最高の武器となるでしょう。それをジャッジするあなたには、正しい結論を導き出す正しいモノサシになるでしょう。経営者のあなたには多くの示唆を与えてくれるでしょう。

例題
コンテナと建築、コンテナと商品、コンテナと彼女。コンテナとバナナ。コンテナと経済。
それぞれ、シニフィアンとシニフィエというコトバを使いながら、上記の2つセットのコトバを、200文字程度で相手に空間を彷彿とさせる文章を書け。(爆)

具体例はまだ掲載出来ません。イベントが終ったら載せます。

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ふざけた例題を出していたら、私の旧知の作家から、戯れに素晴らしい回答を頂いたので掲載しておきます。くれぐれも騙されないように。(爆)


解答例

●コンテナと建築

コンテナと建築ぅ?
あのあれ?ほらさー良く道端にさびさびで置いてある
バイク好きののバイク倉庫とかぁ?
納屋代わりの農機具入れとか?
貸し倉庫とか、中古車販売のとこによく在る?
どれもなんか小汚いよね。ま、段ボールハウスよりマシって?
あははは。
え?そういうんじゃ無いんだ。へー。
でも普通はコンテナって言われたらさーあの
臙脂色のJRに引っ張られてるあれとかさー、
港に置いてあるあれとかぁ?
え?そういうのシニフィアンって?
知らなーい。

建築かぁ。
あたしの父親が昔水道工事の業者やっててさぁ
ってかだいぶ前に家飛び出してから会ってないから
生きてるか死んでるか知んないけどさぁ・・・
もうすっごいいやなおやぢで、酒飲むし、おかん殴るし、
パチンコばっかだしさーもう嫌でさー。
典型的なほらあれよ、あれ。
でもさー、あのすっごい地震があったじゃーん、
あの時さぁ、もう大変であたしもめっちゃ怪我してさー
おかんもなんかショック過ぎて一言も口聞かないしさー
家もヤバいし、どうしよーってパニクってたらさぁ
おとんがいないのよ。
こんな時までどっか行きやがってーってがちムカついてたら
同じ業者のおっさんと飛び出して行ったらしくてさぁ。
やっぱ水よ。水が大事な訳よ。上水も下水もさぁ大事なわけよ、
人が生きるのに。
それで取り敢えず水が出るように?流れるように?
なんか必死だったみたいでさぁ。
5日位してやっと家にもどってきてさぁ。
あたしとおかん、水どころじゃねーっつーのにさぁ。
まぁさ、そんな感じよ。

え?コンテナだけど住めんだ。へー。普通の家と一緒?
っんとー? 上水も下水もちゃんとついてんの?へへへ。
建築つったら水道が一等大事なんだよ。覚えといてよ。
へーコンテナに水道かぁ。。コンテナが家かぁ。

え?そう言うのをシニフィエ?
だから知らないってばー、
ってかお客さん話うざいー。
もういいから、フルーツ頼んで良い?


●コンテナと商品

コンテナでかー。
そー言われてもなぁ。
コンテナって言われて浮かぶのはやっぱJR?
小さい頃から「貨物列車の通過です」って言われると
怖いのに黄色い線ギリギリまで近寄ってどきどき待って
案の定凄い勢いでやってくると怖過ぎて
一度なんかバク転気味に転んで駅名看板で頭打ったなぁ。
中学生になってからは
「横を同じ速度で走れば連結部分に飛び乗れるか!?」
とか考えてたなぁ。我ながらバカ。
いやバカじゃねーな。すげーな俺。
そんな俺のシニフィアン。

で、コンテナで。
うーん。
コンテナ一杯にプリン作ってプリン祭り!
コンテナが開くとそこから溢れんばかりの裸のおねーちゃん!
コンテナでドラムスチール大会!
誰が叩く訳よ我ながら。
どうしようこんな案じゃ親父に、あ、いや社長に見せられないなぁ。
斉藤に適当に書かせようかな、それ俺の案にしようかな。
そうしよっかなそうしよっかなそうしよーーっと。
それではっやっくっ!里奈ちゃんのっ!おみっせにっっと。
キャバクラと言えば里奈ちゃん!
それが俺のシニフィエ!ふっふふー。

コンテナ・・・・。
本当にあのぼんくら息子・・・いや専務は何時も頭に来る。
何が「斉藤君に一任したからね!」だよ。
あんな息子が専務じゃこの会社危ないし。
社長は自伝出版に夢中だし、
息子は正真正銘のキャバクラバカ。
キャバクラと書いてバカ専務と読む。
でもコンテナはコンテナと書いてコンテナ。
コンテナは入れ物!器!
箱!がわ!パッケージ!
それ以上でもそれ以下でもないっつーの。
今日は俺もう終了。終了終了。
あ、桜井君。

コンテナかぁ。
面白いかも。
課長に帰り間際に押し付けられたけど
これ広がるかも。おもしろいかも。

「単なる●●にとどまらず・・・・」って物言い、
商談やプレゼンで聞くと、なんというか
「いかにも考えてます、広げてます風だけど、
実は考えてないし。つじつま合わせてるだけだし。」
って感じがして俺寒いんだけど、あはは。
でも今回はあえて

単なる箱にとどまらず
単なる箱にとどまらずかぁ・・・。
コンテナは商品。
ツールが無いから売れないではなく
コンテナをツールに。 無限のシニフィエ。

「桜井君、まだ帰らないの?キャバクラでも行かない?」
「ええ 当分帰りません」


●コンテナと彼女

あああ、目の前には、はるか彼方まで信じられない程のコンテナの群れ。
コンテナと言われて誰もが思い浮かべるCOSCO・MOL・WANHAI・・・。まさにシニフィアン。

一体この中からどうやって彼女を捜し出し、救い出せば良いんだ。
俺は探偵でも刑事でもない。普通の会社員なんだ。
定時退社でまっすぐ家に帰るんだ。それなのにどうして俺が?
彼女ってもまだ三ヶ月くらいしかつき合ってないし、いやもしかすると
あっちはつき合ってると思ってないかもしれない。
それなのに突然「助けて!助けに来て!」ってメール。
うぉいうぉい映画かよ。どっきりかよ。
あぁーあの俺会社員なんすけど。草しか食べない会社員なんすけど。
自分一人で部屋綺麗だし、服にこだわってるしクリーニングに出すし、
炊事洗濯困らないし、一人でDVDみながら
ちょっと良いワイン飲んでるのが一番幸せだし、
人が自分ちのトイレ使うのあんま好きじゃないし、
他人の物が部屋に在るのも嫌。SEXも出来ればずっとしたくない。
だからもーいいんだけどなぁ。どうしようかなー。
取り敢えず時間だし仕事行くかぁ。

あああ、目の前には遥か彼方まで信じられない程の種子の入った缶の群れ。
韓国や中国から毎日大量に入荷。まさに俺のシニフィエ。
そう俺は植物検疫教会職員!略して植検!
1コンテナに一体何缶よ。あん?それが一体何コンテナよ。あん?
毎日この中からあてずっぽに「これ」と言われた箱を開け、
あてずっぽに「これ」と言われた一缶を開ける俺。
退職までにこうやって「これ」と指差しされた缶から
金塊や覚せい剤やまぢヤバい種やなんかが出てくる確率は
どのくらいなんだろう。

出ろ!なんか出ろ!
かしゆかのサインでも、
グラン・クリュのシャブリでも
ケッヘル626番のレクイエムでも。
出たら俺は・・・・

彼女を捜す。
業務の一環として。


●コンテナとバナナ

コンテナのシニフィアンと
バナナのシニフィアンは
平均的日本人にとってほぼ共通しています。
コンテナといえばあれだし、
バナナと言えばあれです。
バナナと言われて、あの姿が浮かばない人は
「フルーツっていったら佐藤錦かマスクメロンか、
あまおうか、岡山白桃以外になにがあるのかしら。。」
とすっとぼけた事を言っておいてください。

さてそんな安易なシニフィアンに対して、
コンテナのシニフィエと
バナナのシニフィエは
『お互いを無条件で呼び起こす、類いまれな、
日本人にとっての「シニフィエのがっぷり四つ」』
です。

がっぷりよつ。

今、お互いの両手両足が絡まっている様子が浮かんだ
そこの貴方。
違います。シニフィエ違いです。
お互いの両手、四本が絡まっているという事です。
滝に打たれ反省しましょう


●コンテナと経済

コンテナやコンビナートや工場、
そういう言葉を聞いて
日本産業地図の色々な地域が頭に浮かび、日本一の
「製紙工場」「繊維工場」「機械工場」「自動車工場」
などと覚えた事を思い出した人、
それもう過去の地図です。

日本の産業地図は、そして経済は、
毎年恐ろしい勢いで変化しています。
いつまでも昔の日本産業地図を思い浮かべたまま
中国産や韓国産を小馬鹿にしうかうかしているうちに
日本産などとという物は近々無くなるでしょう。
日本が海外に売れる物は、そう「物」はもう在りません
技術? 韓国中国インドに抜かれます。
商社的な意味合いでの存在価値が残るだけでは無いでしょうか。

そんな中、日本人が中国に働きに行くのが流行です。
もちろんコンテナの片隅に隠れてや、小舟で行くのでは在りません。
その理由は中国で一発!という前向きっぽいものも在れば
日本で仕事が見つからないしという後ろ向きなものもあります。
徐々に、足元の砂が崩れ、立っていられる面積が
少なくなっている事に早く気付きましょう。
そう、例えばコンテナといわれて、
貴方がシニフィアンとして思い浮かべるそれは
既に100%中国産です。日本にコンテナ工場はありません。

そんな経済的にアウトな末恐ろしい日本ですが、
それでも世の中の営業マンは売らねばなりません。
「考えておく」
「善処する」
「機会があったら」
「経済的に今ちょっと厳しい」
そんなきっぱりとした疑いの余地のない
お断りの言葉に負けずに頑張りましょう。
「このご時世ですから」という言葉を多用するクライアントに
将来は在りません。
経済に関してのシニフィエは常にどんな時でも前向きな映像で。
「売れないもの」ではなくあなたが「売れない人」なだけ。
経済学部を出て経済の判っている人がほんの一握りなのと同じ。
売れる人は売る。
かとおもえば経済アナリストと称して
値切りの仕方を伝授する輩を持ち上げ続ける
マスメディアの破廉恥。
日本の首を絞めてます。
自ら「名人」「プロ」「匠」「伝説の」
「時代を作った」「達人」(笑)などと名乗り
マスメディアに露出するのと同じ位、破廉恥(爆笑)。

と、考えた事も無い経済について
適当にある事無い事書いてみた私は
専業主婦。
厚生年金は第三種被保険者。
払わず貰える唯一の種族(笑)。うほほー。
それなのに営業マンの夫から
「今日はご飯家で食べる」とメールが来るとイライラするの。

そんな私の「経済」のシニフィエは「値切り」。
今日もお外でランチしてから、
一円でも安いスーパー回って更に値切るの。
まけてね。このご時世だから

コンテナハウスとその未来

当社は建築設計事務所であるが、お客様の中には「建築設計事務所」も多い。不思議な話だが、建築基準法に詳しければ詳しい程「輸送用コンテナの限界」が解っているので、当社に相談に来られる。わたくしどもは当社のコンテナ建築システムを成長させ、普及していきたいので、「建築設計事務所」の相談には積極的にのる事にしている。

当社のコンテナハウスのシステムを理解して頂き、建築設計事務所の方がコンテナハウスを設計すると、また思いがけない方向のデザインが出来る事がある。もう10年以上も「コンテナハウス」を設計してきても、趣味や思考の方法が違うとまた違うデザインが生まれるというのが面白い。

集合住宅の案を出して来たのは「更田建築事務所」。面白い。

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残念ながら計画に終ったが、いつか「更田建築事務所」とやりたいデザインだ。

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コンテナハウスとモータースクール

トヨタのコマーシャルですら、というか、トヨタだからこそ出来ると言えばそうなのですが、ドラえもんが登場しのび太なども登場するテレビコマーシャルは「クルマの宣伝」ではなく「クルマに乗る為に<免許>を取ろう」というコマーシャルがある事をご存知でしょう。免許を持っていないと「クルマを買う」という事すらなくなるので、少子化の時代、新たなエントリー層に対して「まず免許を取ろう」という事になっている時代です。

さて、自動車免許を取ろうという方々は「比較的若年層」つまり大学生や若い社会人。取り分け就職にも優位だろうという事で学生の間に自動車免許を取る方は多いと思われます。なぜなら社会人になってからより、その為の時間は取りやすい環境にあるという事もあるでしょう。おまけに学生の場合「夏休みや春休み期間」という素敵な時間がある訳です。

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それに目をつけた自動車学校が考えた戦略が「合宿で自動車免許を取る」というプラン。学生ならでは出来るプランです。あるいは卒業して就職するまでの間などに取るには最適のプランとなります。

基本的には大都市圏に学生は多く、田舎から出てきている学生は故郷に帰って取る事も出来ますが、比較的田舎の宿泊費の安い場所で自動車学校が競ってそのようなプランを出しています。早稲田大学などでは生協の商品にもなっているくらいです。

最近の学生は成長した日本の社会の中で育ってきましたから、そんな合宿免許講習とはいえ「1人部屋」で過ごしたいというのが一般的です。自動車学校も民宿などとタイアップしてやっていましたが、なかなか少子化でこの企画も厳しい時代を迎えており、コスト削減とグレードアップに悩まされています。だんだん外注的なタイアップでは対応は難しくコストのかからない方法はないものかと模索しているのです。

外注型では外注先の利益を含んだ額でしか対応出来ませんから、それなら自社で「宿泊施設も対応してはどうか」という事になってきます。

宿泊施設は「コンテナハウス」の中でも「同じタイプの部屋」を複数作る事になりますが、実は工場で生産するユニット式のコンテナハウスはこのような複数同じタイプというような作りの時にコスト的にはメリットが出やすい方式です。同じものを次々に作り出すのは結構得意だからです。

こうしてコンテナハウス型「宿泊施設ユニット40FEET_type」がデザインされました。
ユニットとしてはなんと一部屋あたりのコストは400万を切ってしまいます。(家具や備品込み)
(現地の基礎や設備系の1次側は含まれていません=現地調査をしなければ決まりません)

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コンテナハウスと内モンゴル(中国自治区)

中国の旅順にある会社から「内モンゴルにホテルをコンテナで作りたい」という相談があり、どうやら本気らしいので中国まで打合せに行った。

中国の話なのに(謎)、エコロジーとか自然エネルギーとか循環系の計画だとか、先進技術だとかの現代的キーワードの話がずいぶん出てくる案件なのだ。中国にもずいぶん先を見通した方もいるのだなと思いながら中国に向かい、打合せに望んだ。ホテルを作りたい場所は中国の「内モンゴル自治区」の中にある有名な観光地、しかも何もない「草原」が素晴らしいという地域だ。

どのような場所かというと、このような感じらしい。

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実は中国の中では「植物油」の一大生産地であり、「レアメタル」が埋蔵されている地域である。何といっても広大な「草原」が素晴らしい観光地なのだ。その草原を破壊する事なく、しかも冬は厳冬の場所真冬となれば−40℃の世界らしい。観光シーズンは夏の3ヶ月のみ。その3ヶ月の間の草原が素晴らしいらしく、中国国内でも行きたい観光スポットの10本指に数えられるそうだ。

内モンゴル自治区。ジンギスカンの活躍した地域だ。確かに馬が似合う。

その草原へのインパクトを最小にし、再生可能エネルギー供給も考え、人間が訪れて生活する事によるインパクトも極力抑え、建設会社などもちろんいない所に「ホテル」を作るとなると「コンテナホテル」しかない。という結論らしい。建設会社がいない所での建設となると「コンテナハウス」というのは当社の「離島建築」と同じ意味でコンテナハウスはその根幹が持つ「ロジスティクス内包型建築」という意味で確かにマッチングがいい。そして当社が研究している「オフグリッドハウス」の商業版という意味では当社にもマッチングがいい話だ。

実はクライアントは3年くらいのスパンで設置場所さえ移動し、「設置場所周辺への環境的インパクト」を最小にしたいとも考えていたそうだ。

そうですか・・・。そこまでいうならこの話考えてみよう。

かくして、オフグリッド_ローインパクト_コンテナハウスホテルプロジェクトのはじまりはじまり.