豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)とコンテナハウス&パン

日本は、自然風土に恵まれた美しい国です。春・夏・秋・冬、四季折々の恵みは、私たち日本人の生活に潤いと豊かさをもたらしてくれます。自然の恩恵に深くあずかってきた日本人は、自然のなかにあらゆる生命を育み、豊饒(ほうじょう)や繁栄をもたらす生成力を認めてきました。さまざまな自然現象に、神々の恵みと働きを感じとってきた日本人は、自然と調和した生活を理想とし、自然と触れ合うことによって、絶えずその生命を瑞々しいものにしてきました。

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こうした自然観のもとで、日本人は、人間は生まれながらにして清らかなものであり、穏やかで澄み渡った心を持つものと考えてきました。そして、神社で神々をお祀りし、信仰する上で常に清浄さを大切にしてきました。神道の信仰は、人びとの生活の中で育まれてきましたが、日本人の生活基盤であった稲作農業との関わりの中で、その形式が整えられ、体系化されてきました。

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稲米は、皇室の御祖神(みおやがみ)である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が私たちの祖先に授けられたものと、日本の神話は伝えています。日本の古名を豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)といい、稲穂が豊かに実る国と称えてきました。稲米は、日本の国柄そのものを象徴するとともに、私たち日本人にとって稲作は、神々から授けられた神聖な営みでもありました。

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そのように自然豊かな日本国なのですが、私は四季はこの緯度のおかげ、世界のどこに行ってもこの緯度なら四季が存在し・・・。と思っていたのです。しかし日本と同じ緯度で地球をチェックすると実は砂漠地帯が多く、このように実際に植物(木々)の種類も多く、緑に囲まれる環境を持った四季のある地域(日本)は実は非常に希有な地域なのだそうだ。(出典:NHKの番組)実際グーグルを見てみた。

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ほら、本当だ。アフガニスタンやイラク、チベットなど名だたる砂漠地帯だ。NHKによると、海流や気流や周りの海の環境が生み出した奇跡の環境らしい。

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実はコンテナハウスは海外からのオファーも多い。概ね「砂漠地帯」(爆)だ。石油や鉱石、天然ガスなどを採掘する場所での「アコモデーション(居住区)の為の施設としてオファーがやってくる。オーストラリアなども多いのだ。オーストラリアに限っては実はそのようなユニットを製造している専門の会社があり、なかなかの供給元になっている。

我々はそれらのアコモデーション(作業員宿舎)に特化した事業をやっている訳ではないので、少々腰が引けるが、東北の震災以降その復興の為の作業員宿舎としてのオファーも多い。これに関しては出来るだけ協力をしたいが、コンテナハウスのなんちゃって業者もそれを狙ってずいぶん増えたらしく、金額の戦いになったりする。当社はコンプライアンスを守る事を社是としているので、これらの業者さんの価格帯にはなかなか落ちて行けなくて仕事を獲得する事はあまり無い。建築を真摯に勉強してきたものとしてはある一線を切って降りて行けない場所がある。建築基準法が万能な法だとは思わないが、我らが「豊葦原瑞穂国」(日本の美称だ)は法治国家だ。法によって秩序を生み出す民主国家において法を無視した活動は企業活動として行う事は出来ない。法を守るという事は国民の安心安全を確保し、財産を守れる建築物を作る為に建築基準法が存在する。その事を積極的な意味を持って守ろうとすると落ちて行けない場所は存在するのだ。

そんなわけで、美しい国日本に生活する国民は、コメ好き日本人が生成されたわけですが(爆)、実はパンも美味しい事を知って欲しい(爆、そっちに行くのか~)。日本のパン文化は主食がコメであったために「おやつ」的な「菓子パン」の文化に走ってしまいました。木村屋のアンパンを筆頭にクリームパンジャムパンといった具合です。給食でコッペパンが配られ、コッペパンのヴァリエーションとして焼きそばパンだの、コロッケパンだの、総菜パンという特殊な発展の方向へも繋がりました。でもまあこれはサンドィッチの日本版でもあるわけです。ただし、なかなかまだ貧しい戦後の食料事情を反映して作られた総菜パンなので、今思えばコッペパンと焼きそば?コロッケとパン?って不思議な炭水化物組み合わせになっています。なぜか巷では、この組み合わせはコッペパンの黄金組み合わせという事で未だにパン屋では人気の商品です。多分美味しいからではなく、懐古趣味系の刷り込み組み合わせだろうと私は思っています。

私がお勧めしたいのは、本格的な欧州系のパンです。パンドカンパーニュやバゲット、リュスティックやライブレッドなんです。ワインがかなり定着した昨今では、ワインを飲みながらの食事も増えてきました。そんなときは「パン」でしょう。ワインとパンとチーズ。この黄金トリオは私に言わせれば「黄金の発酵食品トリオ」と呼んでいます。ワインのある食卓にご飯というわけにはいかないでしょう。

当社のコンテナハウスは世界的な基準にも負けない内容を持ち、世界からのオファーもやってきます。東北の復興にも役立ちたい。美しい日本の情景にもマッチしたデザインで作り続けて行きます。

はいむるぶしとコンテナハウス

南の島から「コンテナハウス」はオファーがよくかかる。

理由は解っている。島にはそのスケールによっては建設会社が多いとは言いがたい。沖縄本島などであれば補助金も多く、公共事業はまだ多いが、離島となると、ビジネスとして成り立つのはマリンゼネコン系などが公共事業の発注を受けるくらいだ。小笠原系などはまだ「東京都」だから公共事業のインフラ事業、つまり土木工事などはまだある。しかし、民間の「住宅」や「宿泊事業」などではそれを建設してくれる会社すら乏しくなる。

そんな時「コンテナハウス」は一つのソリューションとなり得る。

作り上げて「船に乗せて=コンテナだから」運ぶ。届け先では「基礎工事」と「設備系の繋ぎ込み」はあるものの、本体の工事は出来上がって持ってくるから現地での工務店依存度は極めて低い。いざという時は施工期間は短いので職人を連れて行く。本土で作り上げる本体価格は「本土価格」そのものだ。もちろん最終的に「船で運び、現地の敷地まで運び、設置する」という作業には輸送コストも発生するが、もともと「離島建築」はすべからく「輸送費がモノに覆い被さっている」ので、それらの価格よりはうんと低価格で実現可能だ。南大東島などでは建築費は本土の3〜4倍と聞く。コンテナハウスは輸送してもそんなに高価な状態にはならないので離島からのオファーも多いのだ。

「はいむるぶし」が改装工事を行った。ちょっとだけ手伝わせて頂いた。ガーデンレストランのドリンクバーにコンテナハウスを使ってもらった。なかなか可愛いモノが出来たと思う。その可能性を感じてくれたクライアントが設計担当の日建設計に依頼して採用が決まったらしい。

実際、これらが建っている離島からはよく問い合せがやってくる。沖縄本島はもとより、久米島、八重山諸島の石垣島、宮古島、鳩間島、小浜島、太平洋側の小笠原諸島、父島、母島、・・・・・事実施工は可能だ。

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ユーゲントシュティールとコンテナハウス

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ユーゲント・シュティールは、「構成と装飾の一致」(Einheit von Konstruktion und Dekoration)を理念とし、美や快楽と実用性を融合させることを主たる目的としていた芸術運動である。時は19世紀末頃の出来事だ。なかなか英語系にもない発音なので(まあドイツ語だもんね)覚えにくい芸術運動の名前だが、内容も含めて「幽玄としている(ゆうげんとしてーる)」と覚えると覚えやすい(爆)。

美術・工芸デザインに見られるユーゲントシュティールは、動植物や女性のシルエットなどをモチーフとし、柔らかい曲線美を特徴とする。 一方、やや幾何学的な模様を使用する傾向がある。ユーゲント・シュティールの建築は、簡潔で機能を重視した形体が重んじられる一方、一度限りの芸術性、唯一無二のデザインが尊重される。そのため、「装飾的部分」が残された建築となる。上の写真を見ると、皆さんもよく知っているアールヌーボーを彷彿とさせるイメージがある事を感じるでしょう。その通り、アールヌーボーへと繋がって行く芸術運動でもあるのです。この運動は様々な広がりを見せ、ドイツ工作連盟(オペーレーター系じゃないよ)、バウハウスなどへも繋がって行きます。

ドイツのダルムシュタットには、芸術家村が現存し、その保存状態は極めていいし、人が実際に住んでいる。私の心はここに置いてきたままだ。19世紀末から生きている訳ではないが、私が建築やデザインを学んでいる時代は「モダンデザイン」こそが現代社会を構成していく新たな枠組みとされ、私も何の疑いもなく「コルビュジェ」や「ミースファンデルローエ」そして現代に続くイタリアンモダンデザインなどを「かっこいいなあ」と思いながら学んでいた。モダンデザインが台頭して来た黎明期には「装飾は罪である」とアドルフ・ロースは語り、オットー・ワーグナーの「芸術は必要にのみ従う」という機能主義の主張を更に徹底させるコトバまで生まれた。

現実の私どもの設計活動は「コンテナ建築」を今は主にやっている。「装飾は罪である」の最右翼のような活動にしか見えないだろう。「建築はRockだぜ、固くて重いぜ、みたいな(爆)」。このストイックですらある箱と、ユーゲントシュティールの装飾性を組み合わせたらどんなにか素晴らしいものが出来るかと、いつもそのチャンスを狙っている。私どものデザインの結節点は「ユーゲントシュティール」なのだ。セミラティス構造の頭の中で回帰していく部分はユーゲントシュティールに始まり、ウィーン分離派、ゼツェッシオンへと繋がっていく。これらの活動から生まれてきた作品群をみると伝わってくるある種の共通感覚がある。

それは「権威建築」「王宮建築」などから解放された「芸術としての建築」であり、その中で表現されているものは「自由な表現の発露」である。すなわち「人間の証明」なのだ。もちろんその時代の束縛から自由になろうとした活動の結果ではあるが、そこで表現された表現内容の説得力の強さに心を打ち抜かれる。

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ユーゲントシュティールは、ドイツのダルムシュタットという街から始まった。そして、その街には上記のように「芸術家村」というのが今でも保存され、実際に人も住み生活している。ドイツの比較的小規模な街である。この運動をさらに広め結実させ、昇華していったのが「オットーワグナー」だ。そしてまだそんな事では生温いと過激な言葉「装飾は罪である」を吐いたアドルフ・ロースという建築家がいる。彼の作品を見たまえ、コトバの語気から来る強さとは裏腹に「ちょうどいい装飾具合」だ(爆)。当時、それだけ装飾を排除した建築は「反逆的建築」だったのだ。もちろん民家の話ではないので誤解のないように・・・。

「コルビュジェ」や「ミースファンデルローエ」に対しても畏敬の念を持っているし、モダンデザインの世界で生きてきたけれど、忘れられない原点にユーゲントシュティール、オットーワグナーがいる。

そんな芸術家に私どももなりたい。

Interceptor 邀撃(ようげき)戦闘機とわたくしどものコンテナハウス


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邀撃機(ようげきき / Interceptor)とは、戦闘機の一種であり、特に国土・都市・軍事施設等を主に敵の爆撃機の攻撃から護るために、迎撃をする事を目的とするチカラである。すなはち、守るべきものがここにあるのに、「敵」が圧倒的な破壊力を持った重装備で仕掛けて来たら、なんとしてでも守らねばならない。そしてこの想定の敵は「爆撃機」のような比較的大型の破壊力を持った攻撃を仕掛けてきたときを想定している。攻撃にも色々あって、前線の撹乱と戦意喪失を狙った「複数の戦闘機」などによる、とっちらかし先端攻撃ではなく「じゅうたん爆撃系」の重度のダメージを与える系だ。

その攻撃を阻止するフォースが「邀撃」だ。そのため敵の爆撃機などが飛行する高高度へ短時間で到達出来る強力な推進エンジン、爆撃機を撃ち落すためのそれなりの攻撃力が求められる。反面、あくまで対爆撃機用の攻撃体であり、対戦闘機戦闘はあまり考慮されていないため、運動性・格闘性能は戦闘機同士のエアバトルを想定していないのでそれほど重視されない。拠点防衛の為の兵器というのがこのインターセプターである。つまりF22というよりはF18って感じ。ま、これらの戦闘機は装備次第で「インターセプター」という言い方はされるのだが、F22にいたってはある意味「爆撃機」並の装備も可能だから、「邀撃機」という概念ももう変わっていくのかもしれない。

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例えば、いうなれば、とんでもない巨漢のおっさんの攻撃から、彼女を守るためには、そんなヘビー級のおっさんが近づいてくる前に飛び出ていって、おっさんのケツに一発ケリを食らわし、ひるんだスキに向こうずねをこん棒でなぐるというすばしっこい攻撃を旨とし、映画でヒーローがよくやるような自爆の道を巨漢のおっさんには用意してあげるという戦略が必要だ。世間的にはこの概念は生活でも、ビジネスでもまだ通じる。応援団にもいるじゃないか。特攻隊長だ(爆)。

法人がある程度の企業成長を始めると「邀撃隊」が必要となる。インターセプターチームだ。世間に出てくる釘は、時の権力を持つものに打たれる。その時チカラを持つものは、新たな台頭者が怖いのだ。打たれる前に相手の向こうずねを打ち抜かねばならない。ただ我々は、このジャンルで先人はいないのである意味敵は少ない。平和裏に生活は過ごしていかねばならないが、現実のビジネス社会は戦闘である。かつて戦国時代家長は戦場から敵の首を持って帰れば「ご主人様はすばらしい!」と言われていた。現代でも命かけて戦わねば何も残らない。こちらがやられてしまう。そのとき本当に必要なものは「知恵」=邀撃力である。

そんな知恵者に私どももなりたい。

コンテナハウスは、「中古のリユース」を超えて新たな世界を構築し始めた。採用される意味はリユースのそれとは別の意味だ。「可搬性」「ロジスティクス性」「サスティナブル性」「デザイン性」「短い工期」知恵の限りを尽くして邀撃力を高める。

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「ビーグル号航海記」とコンテナハウス

ガラパゴスを訪れた「ダーウィン」が記した、ガラパゴスの生物の記録が「ビーグル号航海記」である。生物の種について深い考察をしたダーウィンはその後「進化論」を発表する事になる。独自の進化を遂げたガラパゴスの島々の生物たちの観察によって。生物の種とは当時信じられていたように不変な物ではなく、変化しうるのではないかと考えるようになった。

概ね進化論は正しかったが、その後の研究では「進化」のきっかけは現在は「突然変異」が大きなトリガーとなっていると考えた方が自然ではないか?という事実は多くの研究者が認めている。つまり高い木の葉も食べられるようにジラフの首が少しずつ長くなったという考え方は難しく、突然変異によって長い首のジラフが生まれ、突然変異はDNAに組み込まれるため、子は首の長い、背の高い木の葉でも、補食するのに適した長い首のジラフが生まれ、生き残り、やがてジラフはその遺伝子を持つ子孫が繁栄し、首が長いジラフしかいなくなったという考え方だ。これはジラフで進化中の首が中くらいのジラフの化石や白骨化死体などが見つからない事によって自然と語られ始めた。

孤独な島「ガラパゴス」では、島の中だけで固有の進化をしたものだから、独自の進化を遂げ特有の種が多く存在するという結果にたどり着いたのだが、長い間、それらの種以外の生物にさらされないものだから、海を越えて「新たな種」がやって来たりする事が実はコワイ事件に繋がったりすることがあるらしい。

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まるで遭遇した事もない「種」がもし天敵的な脅威を持っていた時には、あっという間に「絶滅の危機」に立たされるというのだ。確かにそれは解るような気がする。「よゐこ」ばかりの都会の「私立小学校」に、九州の炭坑町から「洟垂れの空手得意な乱暴やさぐれガキ」。が間違えて転入試験を突破し、編入して来たら「よゐこ」達はひとたまりもない。いや、私立小学校がガラパゴスと言っているのではないが、やさぐれガキに絶滅の危機に立たされるのは間違いない。

「独自の、独特の文化の中で、高度な成長を遂げた」というと、何かピンと来るものがありませんか?そうです。日本国です。
これは「生物」の話ではありません。日本と書いて「ガラパゴス」と読んでもいいのです(爆)。日本企業の技術やサービスが、日本市場の中だけで高度に発展してしまう様子を言っている訳です。技術やサービスが特殊化しその結果、日本企業の海外進出が難しくなるばかりか、日本市場の危機も招いてしまう。
おまけに日本国は小学生から英語を教えているのに、こんなに英語が上達しない国民も少ないのかも知れない。それはある学者によれば「日本語の文法」が大きく邪魔をしているという話も聞いた事があるが定かではない。それらの障壁もあいまってさらにガラパゴス化が進む。

i-phoneの衝撃。そらやって来た「天敵的外来種」だ。黒船だー!。i-phoneは適切な例ではなかったかも知れない。ホンモノの天才スティ-ブンジョブスが相手じゃかなわない。IBM互換機ばかりの時代になっても、Macだけは生き残っている。その生命力にスティーブンジョブスの天才を感じないなんて、やっぱあなたは盗人ゲイツのマシンでも使ってなさい。
あ、話がそれてしまいました。そんな事は既に過去にもあったよ。NECの「独自規格」がIBM互換機にやぶれ独自規格を撤廃した。それまではPC-9800の独壇場だったけどね。世界に通用するものを造って行こうよ。さて、ガラパゴス日本の「独自進化技術」たちの中には、世界に通用する技術は多く存在する。概ねガラパゴス的なものとはそれらの技術を使った「サービス」がガラパゴス進化をしているのだ。

華僑的人生絶賛論 (日本が生き残るために)

華僑(かきょう)は、中華人民共和国の中国共産党政府の定義によると、「中国大陸・台湾・香港・マカオ以外の国家・地域に移住しながらも、中国の国籍を持つ漢民族」を指す呼称である。外国籍取得者の華人に対しても使用されることがある。中国を愛し、中国の家族も大切にしながら、国際的に活躍するある意味インターナショナルピーポーである。

世界に張り巡らせられたロジスティクス網、「コンテナのロジスティクス網」はガラパゴスシステムではなく、ワールドワイドシステムだ。建築がその特質を得る事が出来たら、ガラパゴス進化ではなく「ワールドワイド進化」をする事が可能だ。

コンテナハウスは今、世界中で動き出している。ロスアンジェルスの仕事が始まる。

コンテナハウスと東京タワー

東京タワー 技術の革新 夢の日本(少年の夢)とサンボリスム

1958年10月14日東京タワーは竣工した。日本人たちは当時世界で最も高い自立塔を建てた事により、日本の技術の進展を確信し、明るい日本の将来をその塔の向こうに見据えたものであった。ビジュアル的にも333Mという確かに巨大な「塔」はその偉容を日本人の心に焼き付けた事だろう。構造家の内藤多仲と日建設計の設計によるもので、確か施工は竹中工務店と記憶している。私が物心つき、少年になった頃はまだ東京タワーが建って数年後だった。まだ九州の山猿だった私は本で見る「東京タワー」をいつか早く実際に見てみたいものだと何度思った事だろう。かなったのは高校3年生の時だ。「凄いな日本人。世界一高いタワーを建てたり出来るんだ。自分もやがてそんな技術者になりたい」と願った。日本はその後高度成長に向けて欧米の猿真似(爆)をし、努力をして行くうちに、猿から類人猿に進化し、やがて名誉白人などとよくわからない自虐的単語も生まれたがそれにも屈せず、技術革新と経済成長に走って行く。俺たちにだって出来るんだ。俺ら日本人は優秀な民族なんだ。そう信じて日本人みんなが走って行った。それも凄い勢いで・・・・。それが間違いだった事はやがて解って来たが、幸せだった。そして概ね皆が同罪だった。

日本は技術革新やものづくりで国の基盤を作って行った。様態はちがうのだが、成長の雰囲気は今の中国に似ている。ただ成長のただ中にある時は、奇妙な団結心的なものがあり、ある意味それは現代では嫌われる事が増えて来た。日本人特有の「集まって進もう」とする、ある種奇妙な一体感、ある意味強迫観念があった。民族意識というものに近いかも知れないが、一人外れるのが怖いのだ。経済成長をピークに持って行ったのは「大阪万国博覧会」だ。これをを引き金に高度成長時代のピークが始まる。古い書物をひもとき、当時のパビリオンなどの写真を見てご覧なさい。びっくりです。まるで「北京の万国博覧会」と同じ列にある事がわかる。でも岡本太郎の太陽の塔は悪くない。岡本太郎は「藝術」を「ゲイジュツ」という雰囲気にまで庶民的な部分に降ろしてくれた。文化と観念の様態に対する個人の感性が「ゲイジュツ」と呼んでもいいのだ、という事を国民に知らしめた。私は戦後の生まれだが、特に豊かな環境でもなく、現代からすれば周りはみんな比較的同じく貧しい環境だったといえるだろう。

筆者の親の世代が、ぎり戦争に志願すれば参加出来る年齢だった。そのような家庭でも「ルノワール展」や「ツタンカーメン展」、様々な海外美術品の展覧会が催されれば見に行くような、経済成長の裏には「文化的なもの」が欲しいと感じるステレオタイプな感覚も生まれ始めていた。東京タワーはそんな日本の象徴だった。「塔」というものは、生まれながらに「象徴性・象徴機能」を持つ。何の象徴かは様々だが、その大きさ、カタチ、偉容、などから自動的に「象徴機能のチカラ」が生まれる。昨今で最も大きな「塔」は最近その予定最高高さまで達した「東京スカイツリー」であるが、最もダイナミックなチカラを持つ「塔」は私は「六本木ヒルズ」である事を疑わない。奈良時代などに時代をさかのぼっても、権力者は「塔」を作りたがる。聳える塔はその時代を統治する「権力」で技術や経済力を自由に動かす力を象徴し、街に棲む人々にその権力者の力を誇示する。そして権力者は「塔」の上から自分が統治する世界を見下ろしたいのだ。

六本木ヒルズ

しかし、その塔を眺めながら「チカラ」を滾らせる者が生まれてくる。虎視眈々と次世代を狙う人々だ。何も社会転覆を狙う者ばかりではない。「違うだろ」「そうじゃないだろ」「間違っているだろ」と疑問符を体中に貼付けた人種である。ある意味象徴物に触発された「現状不満型優秀人間」である。これらは正しいチカラを生む事も多い、その反対も多い。それらのキーマンのフォースに影響を受けた人々が少しずつ膨らみ「フォース」を生み出して行く。例えばこの「フォース」という概念は、映画「スターウォーズ」で登場する「フォース」という概念と意味合いは同じである。フォースはことわざにもあるように「類は類をよぶ」状態を生み出す。企業文化においてもそうである。超巨大企業ではもう「社会」と同じであるからわりと分散しているが、「上場企業になりました」という感じで、その後はそのままそれほど成長していないようなレベルの企業の構成員はまさに「類は類をよぶ」状態である。 魑魅魍魎系はやはり社員がみな魑魅魍魎系だし、火事場泥棒系はやはり皆火事場泥棒系だし、有象無象系はやはり社員も有象無象だ(爆)。

東京タワーは、ある意味いい時代の象徴物だ。「古き良き時代」というコトバがあるがわりとはまるような気がする。なぜなら「日本人に勇気と希望を与えた」「私たちの味方」であった。権力の象徴ではなく「私たちの希望」であった。それを眺める人の心には「なんだか私にも何か出来そうな勇気」が生まれた。そうさせるのは「時代背景」や「公共的電波塔」であったりする事によるが、最も大きなのはやはり「時代背景」だ。日本が民主化の道を歩き、国民一人一人に、「貧しいのに明日の希望が生まれ始めた時代」だったからだ。リリーフランキーの「東京タワー」が描いた世界だ。

大震災が誰もが目をつぶって忘れていた「パンドラの箱」のふたをこじ開けた。夢の「エネルギーの塔」は国民を絶望の縁に立たせている。いくつも並んだ傷ついた「エネルギー塔」はガンマバイアスアタックとなって、常に人の気持ちを突き、気持ちを萎えさせる。技術の革新は人々に夢を与え、事実幸せにするものでなくてはならない。コントロールすら出来ないバケモノ技術を造り出してはならないだろう。決して世はそれを望んではいなかった。そして後の祭り。それが悔しい。

新たな居住システム、あるいは商用空間、または福祉施設、現代は技術は十分に進み、技術的に新しいものは特にある訳ではないが、コンテナのシステムは新たな技術の使い方を目指す建設のシステムとして開発してきた。このシステムで我々は出来る限りの事を行って行きたい。建築が作り出すものの目的は「物理的空間」だけではなく「その空間によって生まれる物語」だ。

コンテナハウスとビジネスモデル

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当社は、コンテナを使った建築物やプラントなどに対し、考えられるビジネスモデルを惜しげもなく発表していきます。ビジネスモデルは「特許」の対象になるほどのものですが、それをWEBで掲載して行く事は、知恵のない同業者はそれを見て「なるほどそういう方法もあるのか・・・・」とそのコピーモデルで事業を進める事が出来ます。そのとき当社は、そのビジネスモデルを真似されて「不利」と考えるのか、いやそうではないと考えるか。実は当社は後者の立場を取っています。不利とは考えていないのです。

読者は覚えているでしょうか、今やデジタルチップによるi-podの時代になっていますが、その原型はSONYのwalk_manというヘッドフォンプレーヤー商品が初めて発表され、爆発的ヒットを飛ばしたことによってこの「ヘッドフォンプレーヤー」というジャンルが構築されました。まさに新たな商品のエリアを開発した新商品でした。この時代「カセットテープ」を駆動させヘッドフォンで聞くタイプでした。そのあまりのヒットに家電メーカーは競ってコピーモデルを作り、TV_CFを流し、それぞれの商品を宣伝し、売ろうとしましたが、売れるのはsonyのwalk_manばかり。他社が宣伝すればする程walk_manが売れるのです。それは消費者心理としてやはり「ホンモノ」が欲しいからに他なりません。かくして、walk_manは不動のセールスをモノにしました。

時代は進み、モーターでカセットを動かしながら再生するという方法は消費電力も多く、電池をすぐに消耗します。デジタル技術が進み駆動系までもがソフトウェアになり、消耗電力が格段に落ち、小さくなりwalk_manはMP3プレーヤーというジャンルに取って代わって行きますが、残念ながら新たなガリバー、apple社の「音楽ソフト配信プラットフォーム戦略」で遅れを取ったSONYは、モノとしては遜色ないものの、次の時代に入って行きます。この遅れはSONYが楽曲の提供を在来の「レコード店」などにも卸している事業体だったがゆえに、デジタル配信に切り替える事に時間を要した為です。切り捨てる時には切り捨てなければ次の時代に乗り遅れるという負の例にもなってしまいました。

少し別の話も混じりましたが、圧倒的な内容と信頼性を獲得していれば、他社が真似をしてくれる事は、むしろ当社の受注を増やす要因にすらなってくれるということなのです。これが積極的にビジネスモデルを発表して行く当社の意味と立場です。

コンテナハウスのDENTAL OFFICE

実は、デンタルオフィスはコンテナでなければ、山ほどデザインしてきた。それに凝っていた時代があった。その後「産婦人科」も沢山設計してきて、だんだんと総合病院に移り、最後は大学病院のICUを設計した。病院系はその大学のICUで終了にした。なぜなら「胃潰瘍」になったからだ(爆笑)。ICUはちゃんと作り上げたけど、設備の化け物で、設備との取り合いで終始し、その交通整理に明け暮れた。この私が(太っ腹のわたくしが)胃潰瘍に・・。

その後はショッピンセンター系と飲食系と、だんだんホテル系、リゾートホテル系・・・・。そしてコンテナにハマった(爆笑)。

いやいや、なかなかコンテナは深い。デンタルオフィスでさえ、今までに見た事の無いようなものを作る事が出来る。図面はスタディープランとその模型。またデンタルオフィスもやります。

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コンテナハウス。ある一つのテーマ。「DC24V」

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当社の勝手な話だが、コンテナハウスの「テーマ」がある。

住宅系に「ワンデザインクラス」を3シリーズ程完成させる。その中でパワード状態として、オフグリッド系コンテナハウスの骨格に一応の完成をみる事。集合住宅系のシリーズを3タイプ程、標準系を完成させる。実はこれらの事の中にはそれぞれ「大いなる野望」が潜んでいる。

どれも法人としての技術レベルをさらに格段に上げ独走状態に持って行きたいという事ではあるが、ジャパニーズ・ガラパゴスにはなりたくないし、世界標準でいいのだが、コンテナハウスの「良さ」を追求し「デメリット」を克服して行く作業の一環だ。

コンテナハウスはなんだかんだ言っても「建築のシステム」としてはまだまだ新しく完全に完成しているとは言いがたい。建築基準法上も特に問題はないし、公的融資も受けられる。確かに工期は短いし、同じ重量鉄骨系の建物に比べればかなり安価だ。事実、多くの方々に受け入れられている。しかしまだまだ、改善する余地は沢山潜んでいるのだ。

片方で「独創性をめざしアートなコンテナを目指す」一方で、「標準形」を開発してローコスト化を目指す。両極を目指さねばならないというこの矛盾・ジレンマはまだまだ開発にたずさわる人間が少なすぎるのかも知れない。

コンテナハウスと内モンゴル(中国自治区)

中国の旅順にある会社から「内モンゴルにホテルをコンテナで作りたい」という相談があり、どうやら本気らしいので中国まで打合せに行った。

中国の話なのに(謎)、エコロジーとか自然エネルギーとか循環系の計画だとか、先進技術だとかの現代的キーワードの話がずいぶん出てくる案件なのだ。中国にもずいぶん先を見通した方もいるのだなと思いながら中国に向かい、打合せに望んだ。ホテルを作りたい場所は中国の「内モンゴル自治区」の中にある有名な観光地、しかも何もない「草原」が素晴らしいという地域だ。

どのような場所かというと、このような感じらしい。

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実は中国の中では「植物油」の一大生産地であり、「レアメタル」が埋蔵されている地域である。何といっても広大な「草原」が素晴らしい観光地なのだ。その草原を破壊する事なく、しかも冬は厳冬の場所真冬となれば−40℃の世界らしい。観光シーズンは夏の3ヶ月のみ。その3ヶ月の間の草原が素晴らしいらしく、中国国内でも行きたい観光スポットの10本指に数えられるそうだ。

内モンゴル自治区。ジンギスカンの活躍した地域だ。確かに馬が似合う。

その草原へのインパクトを最小にし、再生可能エネルギー供給も考え、人間が訪れて生活する事によるインパクトも極力抑え、建設会社などもちろんいない所に「ホテル」を作るとなると「コンテナホテル」しかない。という結論らしい。建設会社がいない所での建設となると「コンテナハウス」というのは当社の「離島建築」と同じ意味でコンテナハウスはその根幹が持つ「ロジスティクス内包型建築」という意味で確かにマッチングがいい。そして当社が研究している「オフグリッドハウス」の商業版という意味では当社にもマッチングがいい話だ。

実はクライアントは3年くらいのスパンで設置場所さえ移動し、「設置場所周辺への環境的インパクト」を最小にしたいとも考えていたそうだ。

そうですか・・・。そこまでいうならこの話考えてみよう。

かくして、オフグリッド_ローインパクト_コンテナハウスホテルプロジェクトのはじまりはじまり.